アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

教員採用試験のはてな?

またまた、教員採用試験のシーズンがやってきました。夏休みは、学校の先生の手が空くので、面接やら論文やらの煩わしい試験ごっこに付き合わせ易いのでしょう。

ご存知のように、教員は3Kを超えた次元の、煩わしい仕事ですし、安倍晋三など自民党議員が親の仇のように否定する日教組いじめに呼応して、給料も待遇も評判も悪いのです。

昔は、教師というと銀行員と同じくらいの信用もあり、医師や弁護士と同じように専門職でした。しかし、大阪の公務員バッシングや、新自由主義による小さな政府の煽りを受け、保健所を減らしたように、教師の専門性が揶揄されました。

ついに、首長が教育のあり方に口出しできるという、教育基本法に改悪してしまったのです。

2006年のことでした。それを、次の民主党政権は正すこともなかったので、今のような状況になりました。

さて、近所の学生が、こともあろうにある町の教員採用試験を受けたのです。やめとけばいいのに。

すると、訳のわからん、正解などないような作文と、模擬授業があったそうです。

自分の授業の進め方を書いたものに従って授業をしようとしたら、子ども役の委員会から頼まれたであろう教員たちが、騒ぎ出し、授業がたち行かなくなってしまったと言います。

そんな荒れた教室というのを、この街の教育委員会は設定しているのです。どこまで馬鹿なのでしょう。全国に恥を晒したのに。

当然体育系の学生が有利なようで、採用も学力より体育の学生が採用されていきます。優秀な教師は、スポーツができて、力づくで子どもを押さえつけるのだと、もし教育委員会が思っているのなら、市長も変えて、もっと心豊かで教養のある人が選ばれるように、わたしたち市民も運動しなくてはなりません。高学年で体育ばかりの教師が担任で、算数がなかなか分からないという親の話をよく聞きます。

教員採用試験で何が行われているのか、校長の子どもならどんな人でも合格しているのか、校長会と委員会はやはり癒着しているのではないか。市民の中で当たり前になっている悪い噂を払拭するためにも、もうシラを切らないで、開示していかねばならないと思います。

それにしても、校長や教頭が、ジャージで対応するって、大人である親を舐めていると思いませんか?