アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

検察に贈る歌

中、高校生の時も、読書が好きだった。当時は、読み物としては、『狭き門』のアンドレジッドや、『おさん』の山本周五郎を読みふけり、哲学では、加藤諦三の秋元書房『青春』シリーズにはまっていた。どれも、図書館の鬼となり、両親に役立つ本だと嘘をつき、友達からも借りながら大方読破した。

中学生の時には、ゴーゴリーの『検察官』を読み、また、高校生の時には、レマルクの、『西部戦線異状なし』を読み、読書感想文でたいした文でもないのに賞をいただいた。

その、ゴーゴリーの『検察官』のイメージなままの検察官が、帝政ロシアでもない、民主主義というか民衆主義の、この日本でも、いるのだなあと、当時から思い続けている。

ゴーゴリーの検察官は、実は今の検察官ではなく、地域の様子をみにくる管理なので、監察官、または、民生委員とでもいうものだが、不正がばれないように検察官に対し、賄賂を渡すなどは、中元歳暮とそれなりの、付け届けをしている日本の社会でも、わからない仕組みではない。

 

さて、今回は補助金の不正受給の問題であるが、この話には、もっと根本から間違っている問題がある。

誰が負けてやったのだという、行政側の問題だ。そこが知りたいし、そこにおそらく忖度と言いながら、官邸からのはたらきかけがあったのであろうと、誰もが思っているのである。そうでもなければ、何も動かない話である。

そこには、検察は関与していない。目を瞑ってやる、という態度であり、何も明らかにしようとはしない。自分の出世があるからしないであろう。

では、誰が、あの人のいい夫婦をたぶらかせ、おだて、まるで総理が全国の小学校にやらせたいことを実験的に施工させようとしたのであろうか。教育の国家介入、道徳の導入、全体主義など、戦前の教育の復古を目指してきたのは、言わずと知れた官邸である。また、梯子をかけた奴は一体誰なのか。疑惑だらけなのに、誰も何も動きはない。知っている公務員が、その悪を語ればいいのだが、わかっていてもバラせないらしい。悪を見て知らぬふりをする。まだ気づくならいい方で、そのうちそれが当たり前になる。教員の、『教頭、校長べこ一頭』のように。不正を暴き、それを訴えた大阪の英雄、明治改革の立役者である大塩平八郎は、今の大阪にはいない。多くの自称改革派の政党の胡散臭い議員がいても、所詮自分が関与しているからか、全く動きはない。情けないことだ。

 

日本には、政治の仕組みとして三権分立があり、立法、行政、司法が互いにその権力を牽制しながら、主権者である国民の信託に応えるようになっている。これは、我が国の民主主義の根本原理を守る上でなくてはならないものの一つであるからこそ、小学生から学ぶらしい。

しかし、本当に独立がなされているかといえば、そうではない。圧倒的に、今は、内閣主導である。国会軽視、司法無視の状況である。特に、司法はスカタンである。常識のわからない、裁判官が裁くのも変だなあと自戒し、始めた裁判員制度も、みるみる立ちいかなくなってしまった。量刑を見ても、前例主義。もっともお役所仕事らしい仕事の結果である。確か、法と裁判官の正義に従って裁くものであるのに、その正義も、二つ前に書いた『武士道復活』でも触れたように、まさしく、ないに等しい状況になってきているのだ。そんないい加減な不公平な常識外れな裁判所に、「こんな悪い奴がいますねん」って、たれこむ仕事なんか、ろくなものでない。正義も何もなく、言われたままに生きる。そんな人生って幸せなのであろうか。

犯罪は歩いてこない、だから作って行くんだよ。1日一個、3日で3個、3個隠して、2個だます。

人生は、ワンツーパンチ

嘘つき、騙して行くんだよ

あなたのつけた足跡は、不正と悪のかたまりだ

嘘をついて、シラを切って、

ワンツー ワンツー

ばれないで いこう  ♫

三ノ宮における名称のいい加減な考察

JRの三ノ宮駅は、三宮を「さんのみや」を、「さんぐう」や「みつみや」と読まさないために、間にカタカナのノを入れたということである。

なるほど、そうすれば、「さんの」まではスムーズによんでくれるかもしれない。さんのまできて、「さんのぐう」とは、なかなか読めないものである。

 

さんのみやという駅名は、生田神社の裔神である「三宮神社」から名付けられた。「三宮神社」は、元町駅の南の大丸神戸店のすぐ前にあり、トアロードの入り口、トアロードアーチがある所である。

もともと三ノ宮駅は、今の元町駅の東、三宮神社の北辺りにあった。大阪から神戸までは鉄道は出来上がっていたものの、神戸にとって厄介であったのが、生田川や湊川であった。それは、神戸という街をつくる地形を見ればわかる。

南には海、北には山、それゆえに、山の裾野に広がる街並みは、緩やかな傾斜を抱き極めて水はけの良い住宅地となっている。反面、山からの川は、いずれも短く、一気に街を下る。六甲山地には、たくさんの砂防ダムがあるが、砂防事業が完了するまでは、400ミリの雨が降ると、鉄砲水が出ると言われてきた。その川は、多くが山の砂れきを運び、扇状地を作りながら、中には川底が周辺の土地より高い天井川になっているところもある。

生田川も、すぐ北の布引から流れ、幾度となく氾濫を繰り返し、その川幅や、堤防の高さから、東西交通の妨げとなっていた。そのため生田川も神戸港の開港とともに、港に運ばれる土砂をなくすためにも、付け替えが迫られた。特に、旧居留地に住む外国人からのクレームの威力が大きかった。

 

明治の初めには、篤志家が自分の資産を出して公共事業にとりくむことが多かった。生田川の付け替えは、和歌山の材木商であった、加納宗七がたった3ヶ月で完工した。新しい川は、新生田川として布引からまっすぐに海へと流れている。

そのあと、生田川の河川あとは、埋め戻され、今のフラワーロードになっている。その時、堤防を崩した河川敷を宅地化し、線路と道路が交わる辺りに新駅がが設置された。それが今の三ノ宮駅である。

元町駅は、鉄道の高架化が進む中で、やっぱりあったほうがいいよなあと、再建されたものである。その際、あまりにも三ノ宮駅と、近くであったので、少し西寄りの今の位置に設置されたのである。

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さて、その三ノ宮駅を、三宮と表記しようという議論がまた蒸し返されている。後でできた阪神、阪急が、三宮と表記しているため、場所の混乱がおこらないようにするためらしい。ばかばかしいといえば、それまでなのであるが、歴史を学びながら、考えて欲しい。

 

ちなみに、三宮神社はもともと布引辺りにあった神社を、そこの砂山(布引)が水害で崩れると大変だとして、今の位置に建てたという。そして、港や町の守護神としての役割を担ってきた。

洪水や鉄砲水が出る場所には、神社が多い。元町にある走水神社もその一つだ。

神戸はいつも、水に恵まれ、水に悩まされてきたのである。

 

つづく

 

 

 

 

武士道復活

水戸黄門が地上波から消えてずいぶんになる。

若い読者に断っておくが、水戸黄門というのは、水戸の藩主である徳川光圀を直接名指しするにはもったいないため、権中納言という武家官位を名乗っていたことから、その唐名としての黄門を当てたもので、水戸の藩主の権中納言ということである。徳川光圀は、大日本史の編纂のために、たくさんの儒学者を全国に派遣し、つぶさに見聞させているが、そのことからか、光圀自体が各藩を訪れ世直しをするという物語である。

ドラマのはじめから半分まではずいぶん許されない事件が起き、それが大抵、その土地の代官や家老などの、いわゆる偉い人が、真面目に生きる貧しい町民や百姓を困らせ理不尽に振る舞うのである。

40分ごろからいよいよ悪だくみがバレ、水戸黄門自らが乗り込み、必ず民衆の味方となり、武士の横暴を戒める。その時、騒動を静ませるのが、佐々木助三郎渥美格之進で、「控え、控え、控えおろう。この紋所が目に入らぬか。ここにおわす御方を、どなたと心得る。こちらにおわすは、先の副将軍、水戸光圀公であらせられるぞ。頭が高い。控えおろう。」という決め台詞で、きちんと正三角形の頂点に立つ黄門様が、武士や代官へのお裁きの言葉と、庶民への労いの言葉をかけて、高笑いをして一件落着なのである。

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昔はブラザー劇場、ナショナル劇場、として、月曜日の8時から1時間番組としてあったが、いつからか、大岡越前と交互に放映されていた。

 

日本国民は、月曜の夜から、世の中の理不尽を憎み、必ずこの世は正義が味方するのだと、叩き込まれた。水曜日も銭形平次があり、金曜日には必殺仕事人が放送された。昭和な時代には、勧善懲悪と平和は、必須アイテムであり、そうあることに日本人としての喜びを感じていた。

 

しかし、このところ、地方メディアが再放送する以外、有料放送でしかお目にかかれなくなってしまった。よくて、水戸と言えば納豆、銭形と言えばとっつぁん、必殺はそんな言葉は使ってはいけませんというところである。

道端で刀を振り回す子供なんて、この数年来見ていない。それどころか、ライフルや拳銃で撃ち合う子供も絶滅した。

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子供はみんな、小さな薄いハコモノを両手で抱えて一心不乱に指を動かしている。耳に栓をして。

 

悪いことをすれば必ずバチが当たる。いけないことをすれば、それ相応の償いをする。ということも薄れつつある。

実は、海外の旅行者は、その昭和な時代に会いに来ているのだ。あの頃の、鉄腕アトムや少年ジェットが、子供たちに正義と平和を教えていた日本に会いに来ているのである。グルート草津サンダー杉山が、屈強な外国人に立ち向かっていたバイタリティーに溢れる日本人に会いに来ているのである。

 

しかし、それを学んだはずの大人達の中には、テレビの前で、平然と嘘を言い、責任逃れをする。大人は大したことはない、悪いことをしても許される、と心の中に残ってしまった子供たちはどうしたらいいのだろう。

 

ウルトラマンが復活したように、チャンバラも復活させてほしい。武士道精神を見せつけてほしい。

李下に冠を正さず

またまた、中国故事である。

中国なんて好きではないはずなのに、教養があるのだと、見せつけるかのような使い方である。

「あなたたちとは違うんです」

という言葉で辞めた人もいたが、そういう体質があるのだろう。

 

とにかく、わからずじまい。

与党は、もちろん茶番な質問ばかりをする。食事をして、近況を話さない人がいるものか?だから、軽々しく友達に会ってはいけないのだ。

みんながそう思うのは、中国、四国のことだけでなく、大阪の話も胡散臭いと感じているからだ。梯子を外されたという言葉があったが、あれこそが、この一連の問題を象徴する言葉なのだ。やれやれと急かせておいて、危なくなるとなかったことにする。状況証拠は、バッチリあるのに、それでも不問にし、あるわけないじゃないですかとなる。

海外のメディアも、再三再四、独裁体制の危うさを警告してきた。日本はまだ全体主義である。と。

政治ってなんだろうか。

孟子によれば、

老いて妻なきを鰥(かん)と日い、老いて夫なきを寡(か)と日う。老いて子なきを独と日い、幼にして父なきを孤と日う。この四者は、天下の窮民にして告ぐるなき者なり。文王、政を発し仁を施すに、必ずこの四者を先にす。

とあり、民衆を大切にすることこそ政治の基礎だと説いている。

 

だからこそ、戦後ますます日本は荒廃してきたのだ。資本主義の弱点を利用し、一部のものだけが情報を得て、利益を積み重ねた。教育や社会に競争原理を持ち込み、勝ち組だけが褒められる仕組みを作った。勝ち組だけが、勝ち組のやりやすい社会を形成し維持しているに過ぎない。

 

今日も、勝ち組の言い訳大会になる。

 

有機ELテレビ

いよいよSONYが、有機テレビを発売した。昨年から、予定されていたのだが、ついにできたらしい、

早速近くの家電量販店に行ってみた。

実は1月にテレビを買い換えた。もう12年も使っている、奇跡的な長寿命の48型薄型フルハイビジョンであった。とてつもなく重く、それだけ使っているのだから、当然色も曖昧になってきた。

最後は、テレビのコントローラーでは、音声の大小しか調整できなくなり、同時に買ったこれも時代物のDVDのそれに頼るしかなかった。それでも、ボタンを押す操作は難しく、家族それぞれに裏技があった。その情報は、決して共有されることなく、秘密にされたので、一度やり方を忘れてしまうとそれは大変なことになった。この小さいボタンを3秒押して、それから一気にこのボタンに、というぐらいだから、もう神業の連続である。そんな扱われ方をしながらも、テレビは、頑張って番組を映してくれていた。

年末に、画面が暗くなるという最悪の事態を迎えた。いつもは見ない紅白を、見たかったのにとか、あの映画どうだとか、家族は皆不満たらたらであった。

その中でも一番頑張ったのは、有料テレビ。チューナーを介していないぶん、比較的暗いながらも、見ることはできた。

 

仕方ないなあと、年が明けて近くの家電量販店にテレビを見に行った。有機テレビは、もうその存在は知っていたが、外国製であった。日本のメーカーのものでも、テレビは今はそのほとんどが、海外で生産されている。

 

有機テレビは、画質が飛び抜けて綺麗だ。画面から浮き出て見える。今までのテレビの概念は確実に変わる。しかし、映るわけがややこしいゆえ、値段が高い、しかも寿命が液晶テレビに比べ二分の一以下である。わずか5年のために倍以上の値段のものを買うというのは、宝くじに当たるか何かしない以上無理だと考えた。しかも、外国製であるし、海外のメーカーである。もし故障したら、煙に巻かれるかもしれないと諦めた。

そのため、SONYの、まだ量産できる最大のお得なサイズ55インチの4Kテレビを買った。音声入力でユーチューブが見れたり、簡単な録画もでき、DVDも、新しくなって使う幅も広がった。65インチには敵わないが満足だった。

 

ついに日本のメーカーが、有機ELテレビ制作に参入した。そもそも、大規模集積回路は、日本のお家芸であったものが、あるメーカーのリストラのために解雇された技術者が、海外で再雇用されその技術や次のステージの開発への課題を伝えた。それゆえ、家電製品を含め、日本製品のノウハウは海外に流出してしまった。あるメーカーは、今でも経営者がだらしなく、社会に多大な迷惑をかけ続けている。

そんなこんなで、故障した時に、外国語でわめかれるおそれはなくなるであろう。しかしながら、ここで頑張ってなんとか、今よりも安く、しかも長持ちするテレビに磨き上げ、日本のものづくりの素晴らしさを、海外に見せつけてほしい。そのためには、できるだけ人手を省いた国内生産体制を作ってほしい。

無理かなあ?

 

でも、ものづくりは、人づくりなんでしょうね。松下さん。

 

3対7からして疑惑

いよいよ閉会中審査がはじまった。

参考人招致にいたっては、要求した人が全て出席したわけではない。質問時間も本来なら、聴かれる側対聴きただす側が、通例では2対8であるのに、当初は5対5だと主張し、物議をかました。それは、何も悪くないという、意志表示であったのかもしれない。

思い込みというか、どうせバカには、説明しなくてもいのだということであったかもしれない。

とにかく、今日は、言ったの言わなかったのというやりとりが続くのであろう。

 

そもそも友だちっていうものは、大切にすべきものだし、宝物になるようなものである。お互いに相手のことを考えるはずであり、幸せや成功を祈るものである。だから、いや友だちだからという邪念があったなかったを聞いても、それは道理に反する。

しかし、その立場は、国の行く末を任されているのである。仮にそうしても国民は文句は言えないだろう、逆に国民には文句を言わさないぞと、凄んでいるかのようだ。え〜それは私の不徳の致すところでありましてとかなんとかということになるのがオチである。

この間、不徳の致すところで、数々の横暴をはたらいてきた。特定秘密保護法、改正刑事訴訟法共謀罪の3つの矢で、国民に縛りをかけた。中国にも笑われるような縛りである。人権蹂躙につながるのではという声にも耳を貸さず、「ば〜かそんなことねえって。」と嘯いた。

今度は調子に乗って、いよいよ憲法の9条改正へ弾みをつけようとした。

 

それまでには並々ならぬ努力をした。

大阪の人気政党をたぶらかし、一緒に労働組合の撲滅運動をした。大阪のチンピラは、東京にデビューできるとばかりはしゃぎたて、同調し、既成の枠を取っ払うように見せかけ、多くの部署の民営化をはかった。その時点で大阪は、大切な文化を失った。所詮、人間のすることである。昨日まで関心もなかった教育の世界にも、素人の民間人が登用された。そして、民間同様破綻した。反対派は全てバカ。本質をわかっていないと遠ざけた。やり方は、やはり江戸のおぼっちゃまと同じである。

「何もわかっていないバカに、教えてやろう」

 と嘯く。

 

どうせ何もわからない。でも、2を3に値切ったことや、疑惑の最中に外遊三昧をしていたことからも、大したことはないと思っていたのであろう。

 

ポツダム宣言を受諾し、無条件降伏をした時点で、戦前のやり方は全て否定してきた。国家主義全体主義はもう忘れ去った考え方であったはずだ。それなのに、間違った歴史を学んだものは、同じ間違いを繰り返す。不幸だ。

 

どうせ人の噂も何日やら。すぐに忘れて、すぐに同じ失敗をする国民である。

どうか、若者よ、しっかりしてくれ。