何があっても悪くありませんから。
先日、架線事故で普通になった新幹線の、事故原因について、説明があった。
原因は、停止してはいけないところでやむおえず停止させてしまったためで、過失はなかったということであるが、わかりやすく言えば、こっちの都合でなんとかうまくやったのだから、ごちゃごちゃいうな。と、いうことである。
JRは、体質として、国鉄以来、仕事をしてやっている。ごちゃごちゃいうならもう乗せたらへんで。と、いうのが垣間見える。制服を着ると、集団の一員となることから、急に上から目線で話しをするようになるのは、警察官をみても歴然としている。舐められてはいけない、とどこかで、やかましいお前ら、という、ガラの悪さを持ち合わせている。とくに、機械物に乗ると、制服プラス公用品という相乗効果で断然強くなり、ごちゃごちゃ言うとぶちかますぞという目で、到底何も忖度なんぞ関係なく慎ましく生きている市民を睨みつける。はいはい、わたしの言うことは、国家が言っていることなので絶対なのだ。と、おらおら状態になるのである。
JRの職員は、それにどことなく似ている。公務員ではないが、働いている場は、公共交通機関である。限りなく公共性は高い。さらに言うなら、もともとの線路や駅舎、車両など、国鉄以来のものは、設置者は様々なものの、国民の税金で維持されてきたものである。それをぶんどって、さらに助成金などいただきながら、やってきた会社ではないか。本来なら、一軒一軒訪ねて、ごめんやすと、事のいきさつを説明すべきであったのだ。これは、銀行も同じである。助けてあげたのは、国民である。なかなか、利息がつかないことについて、何がしかの説明が必要である。銀行をしてやってるんだ、つべこべ言うな。と、先ほどの制服集団に似ている。そのくせ、今では、びっくりするほどの、給料を、もらい続けている。なんじゃこれは。
はじめの話に戻そう。
切符を買って、迷惑したのは乗客である。時間通り運べなかったのは、乗客が悪いのだろうか。やったことを謝らないって、ついこのあいだの福知山線の事故で、多額の給料をぶんどっていた3人の厚顔の社長と同じではないか。そのうち、なんとかなるのである。自分たちは制服組なのである。こんな人たちに、負けるわけにはいかない。そんなところでしょう。
いっそのこと、道徳の教科書に事のいきさつを載せて、子供たちに判断させたらどうだろう。
今日の記者会見で、謝罪を要求した記者の質問に、何を思ったかにやけた笑いをした職員の態度は許せないではないか。
例の制服組の臭いがプンプンする。
とは言っても、鉄道をこよなく愛するわたしは、JR貨物が日本を救うと考えている。そう言う意味でも、国民に愛される、国民に優しい会社に生まれ変わって ほしい。そのためには、もう一度洗濯しないといかんでしょう。
どうですか?