こんな大学やめてしまえ
あまり知られてはいないが、文科省が、大学の教員の実績や経歴について調査をしている。学歴や、研究項目、出版書物、論文発表に至るまで、詳しく自分をアピールしていくことになる。
大学は、結構その道に精通し、業績や社会的認知が認められれば、学歴など不問であった。しかし、大学の乱立や学部増、学生の質の低下に伴い、小中学校のように、教える側の一方的な質の問題とすり替えられ、教員の一斉あんたほんまに頑張っているんやろうなあ点検が行われているのである、学生が勉強しないから、せめて指導する方だけでもなんとかしたいという、いつもの文科省のピントのずれた施策である。
新自由主義が、アメリカの指導のもと、小泉内閣によって導入され、人の仕事は、見事になんの合理性もない基準をもとに、点数で結果や人を評価してきた。次第に能力至上主義になり、何でもかんでも、失敗は許されず、弱者を切り捨ててきたのである。
さて、わたしは、いつもがりがり変なものにかじりつき、文句を垂れ、呑気に過ごしていたのではあるが、どういうわけか、近畿のある大学から、お誘いがあった。話が来た時は、青天の霹靂ではあったが、自分の専門性を活かすことができ、研究もできるので、決して悪い話ではないと、引き受けることにした。
今から4年前のことなので、それからというもの学会で発表し、論文も2本まとめ、会誌で認められた。
さあ、これからということで、約束の提出書類のことで問い合わせてみると、その研究科目に、学内でスライドした人がいるから、もう採用はないということ。
なんじゃこれは⁉️
専門分野はかなり新しい科目なので、急に学内操作で移ったとしても、そう簡単にできるものではない。
そこで、別の大学で教鞭をとる友人に聞いてみた。すると、その大学は学内で不当解雇が吹き荒れ、かなり訴訟も起きているという。そんなこともあるのか。
それにしても、学部長の要請を鵜呑みにして、今の仕事を辞めていたらどうなっていたのだろう。しかも、専門科目でもない人を、あてがうなんて、学生にとっても不幸なことである。大学側が、どうせ大した大学ではないと思っているのであろう。
今から思えば、学部長からの話だからと信じていた自分も悪かったが、その人がどんな相手かも、調べる必要があった。
こうして、悶々と時間を費やしていたが、昨日、先輩の別の大学の先生から、講座を引き受けるよう、要請があった。捨てる神あれば拾う神ありである。
不当に契約を不履行にした、その大学を見返してやりたい。
でも、学生には罪はない。