貴乃花がんばれ
なぜ、被害者側が責められるのか。
痛い思いや、いやな思いをした方が、どうして責められるのか?
朝から、しょうもないワイドショーを垣間見て感じた。
コメンテーターが、図々しくも、常識とか、人ならばとか浪花節みたいなことをいみじくも言いながら、協会側に立ったコメントをしていた。
マスコミは、誰がどう言ったかばかり追求して、この問題の真理を見逃している。
相撲は、日本の国技と言われる。これには、神道を国家宗教と認めることになり自身反対だが、他国に、これほど日常から体を鍛錬し体格の変化まで及ぼす格闘技はない。プロレスラーも鍛錬はするが、大きくなろうとはしないし、かえって技のキレとしても、そうすれば不利になる。そういう意味で、日本独特のものである。それ故に、かなり精神的なものが要求されるこの相撲の世界に、モンゴル人が馴染むことができるかということを語らねばならない。
モンゴルは、朝鮮語や日本語と同じ言語配列である。子どもの頃は蒙古斑がある。相撲が国技である。
しかしながら、彼らは、朝鮮人と同じく騎馬民族なのである。だから、リズムが違う。すぐに燃え上がり、怒りとなる。それがどうかと言うと難しいのだが、一緒の決まりの中で、暮らせていけるかと言うレベルで考えると、少し面倒だと感じるであろう。西欧人と違い、もともと姿形が似ているから、余計にややこしくなる。
今回は、モンゴル人同士の傷害事件であるが、場所間近に、国としての同郷のよしみで会をするのだろうか?もう、日本の相撲を牛耳っていると思っているのだろうか。しかし、実際には牛耳られている。力士は、30人以上いるのだ。
そのあたりも言及せず、こうあるべきだと、コメンテーターは、勝手なことばかり話している。
言っておくが、暴行をはたらき人を傷つけると、一発解雇である。相撲界だけ違うのであろうか。これを許せば、若者はますます寄り付かなくなるはずだ。
関取は昔は武士であった。
昨日の白鵬は絶対に許せない。もう羊の皮を脱ぎ捨てて、本性をあらわにしたらいいのに。全て、お金のためですと。