アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

マリオネットの日本人

今日、強行採決らしい。

首相は、答弁でしどろもどろだし、質問する立憲も、なんか不倫をしていた人で大丈夫かあんたという危なっかしさがある。

全体的にやらされている感が漂っている。こんなことでいいのか。誰が、どうこの法案の行き着く先を知っているのか?

それが、国会議員ではないのは、もはや明白になっている。

では、大臣の後ろで忍者のごとく、嬉々として答弁書を書き換えまくる官僚なのであろうか。

政権が自民だから、もちろん、官僚と財界とアメリカに政策は全て委ねている。外国に遅れていた、戦争に負けた頃の貧しい日本はそれでもよかった。生きるためのとりあえずの不正は許された。賄賂、付け届け、サービスなど、金があるものだけが、生きる場であり、金のない奴は、植木等が一人で引き受けていた。大衆は、成金を夢見て、賄賂の入る道や贈る道を模索していた。

一方で、自民など、経営者側は、もともとアメリカが、引いた路線を、大衆に罵声を浴びせ、恫喝し、金品を要求しながら、突き進んできた。だから時代の変わった今でも、自民の議員は、セクハラやパワハラには、完全に不勉強、そういう新しい概念などないのである。いわば、宴会でコンパニオンの世界をずっと引きずっている。もう、麻生のように、お手上げなのである。

 

もっと悲しいことに、自由で民主主義だといっているこの政党には、実は自由も民主的な解決法もなく、上意下達隷属党に成り下がってしまっている。

 

では誰がこの法案の発起人なのだろうか。あまり偏差値の高くない首相にあれやこれや、知恵をつける輩がいるのである。

小泉は竹中平蔵という、稀代のバカ経済学者を従え、結局はこの国をアメリカの完全支配下に置いてしまった。威勢良く見せていたが、新自由主義を導入し、自己責任小さな政府という言葉を連発し、バブル崩壊後の疲弊した国民に、あたかもそれが世の中の常道であるがごとき仕組みを導入し、賃金が上がらない仕組みを作った。その流れを汲んで、自己責任なら、公務員も攻めましょうと、バカな政党が誕生し、やり場のない批判の矛先を、行政改革に向けさせた。結局は、官僚機構の問題ではなく、高額な給料を得ていた公団関係の天下りの問題でもなく、市役所の窓口や教員といった、とりあえず手短に文句を言える場所での、打ちこわしでしかなかった。誰も、それを指導監督をしている文科省総務省の官僚に楯突く者はなかった。

 

ゴーンのやり方でもわかるが、壊すことは誰にでもできる。外国人なら日本人の家族に詫びることなく冷徹にクビを切ることができる。それを、自分に近い行政に行った。いわば、自分の首を自分で締めたのである。

これからの超高齢化社会で、コミュニティを作っていくのは、教員など知識の泉としての専門性を持つ人や、段取りよく臨機応変に立ち回れる窓口の職員である。それなのに、コミュニティづくりを放棄した。おまけに、アメリカの求めに応じて、郵便局を民営化し、国民の貯金を資本市場にさらしてしまった。貯金が預金になり、それ故に、株の保有率によっては、資本家が、横取りできるようになったのである。小泉は、日本社会を変えたというが、日本は、これでアメリカの完全な支配下に置かれ、低金利を続けるあまり、ずっと不景気が続いて来たのである。

このように、バカな経済学者の話を聞いてしまうと、取り返しのつかない事態になるのだ。

おまけに、首相の学力は低い。恐ろしいほど、認知能力が低いものだから、そばにいるものの言葉を引用し思いつきで言葉にして来た。少し前の鳩山さんは、思いつき発言の大家であった。次の。菅さんは、いきなり、公約にもなかった消費税アップをぶちまけた。この時点で、国民は背を向けた。この鳩山、菅の、2人で国民の期待を裏切り、働く者を裏切った。

安倍が日教組こそ教育を捻じ曲げているというプロパガンダを発し続け、教育基本法や、学校教育法、教員免許法を改悪したが、その是正をしなかった。誰が首相になっても、。国民生活は国民の方を向いては、何も、変わらないのである。

 

今回の、安倍移民法は、誰も何もわからない。

わからないのに通すのは、やはり、官僚主導であろう。名もなき官僚の仕業なのに、誰が責任を取るのだろうか。

いつまでも、官僚や財界やアメリカの操り人形の議員が、法案を通し続けるのである。