高い緊張感を持って
何をしているのだろう?
この言葉は、あの今までにないスピードでとか、異次元の判断でとか、到底出来もしない表現を用いて、言葉遊びに没頭している。
3月からずっと高い緊張感を言っているが、緊張感とともにあるはずの忙しさが感じられない。
誰かに言われたGOTOキャンペーンは、やらないと叱られるからやりたい。コロナ検査はやってる感さえ出していれば、森友や加計学園の時のように国民は馬鹿だから気づかないだろうとでも思っているのだ。
子どももそうであるが、勉強のできない子どもは、新しく聞いた言葉を何度も使う。使えない場面でも、強引に使う。なぜなら、その言葉は、自分が少なくとも普通の場所にいられるシンボルになる言葉だから。
だから、のべつ幕なしに使いまくる。聞いている方は、もううんざりするのである。
こんな記者会見を見ていたら、東京都知事がまともに見えてきた。まだわかりやすい。
官房長官は、何か隠している陰湿さが漂っている。
あんたらわからんやろ
毎日出てくるカマキリみたいな大臣は、基本何もわかっていないということが瞬時にわかる。
約束できないことを喋るぞ
イソジン大阪は、思いつきで話をしているのが露呈した、その一見力強く見える思いつきの向こうに、都構想の無理やり実現があり、カジノの利権があり、改憲での徴兵があるのである。
騙されないようなと言っても、国民は批判を悪口だと思う人が多い。今更儒教精神もないだろうに。だから、図々しい奴らには手も足も出ない。最近は志らくが、安定路線を歩き出し、キレが悪くなってきた。もう、あの番組も終わりだろう。
いよいよ、まだ洗脳されていない国民が、高い緊張感を持って、行政の行為を監視しなければならない時である。