命より授業時数が大切か?
今日の午前、東京・足立区の小学校で体育の授業をしていた児童7人が熱中症とみられる症状を訴えて病院に運ばれた。
いずれも症状は軽いというが、この暑い時期に学校に子どもを集めて授業をしていることに驚いた。
聞いてみても、年間授業時数がコロナの影響で足らないらしく、それを補うために授業をしているのだという。
以前にも書いたが、日本のこの年間授業時数は、何ら科学的な裏付けのないものなのだ。
とくに、先進国の中では日本が1番多いし、学習内容でも、コンテンツを覚えるという行為はもうどの国もしていないことなのである。
日本はもう先進国だという感覚は捨てた方が良い。
おまけに、外国ではほとんどない体育は週に3回もあるし、ほとんど趣味である音楽や図画工作など、もうサービスだとしか思えないものも、幅をきかせている。跳び箱を飛ぶことが学力であり、速く走ることが優秀なのである。
もう、子ども徴兵検査としかいえない世界がある。背の低い子どもにとって、ハンデしかない教科が体育だ。
おまけに、その成果がほとんど見込めない英語教育や自民党に多額の献金をしている企業の願いでプログラミング教育が行われている。英語を喋るイギリスは幸せなのか?
こういう趣味的なものや、訳の分からないものを今年は停止して、年間授業時数を見直してはどうだろう。所詮何の根拠もない時間を子どもは命がけで学校に行き、消化しているのである。
いやいや、もう国が決めるのをやめたらどうだろう。できれば地教委レベルで、どう減らせるか、教育の本道を逸れない程度に実験してはどうだろう。教えられる教育は、いくら時間をかけても子どもの力にはならない。