聖火リレーなんかいらない
東京オリンピックの時には、全国津々浦々聖火リレーがあったが、あれはそもそも国威発揚の政治的な利用をしようとしたナチスドイツに起因するものである。
もう戦前から、国威発揚の手段だったオリンピックは、もう開催の趣旨からして眉唾物ではあるが、そんな値打ちがあるものではないかもしれない。
所詮遊びのスポーツを商品化して一生遊んで暮らせていく手段にしているのに過ぎないのだ。いつまでも、団体の役員として、社会から隔離された変な精神的な発揚を保ちながら、国家間の競い合いという落とし所で、たくさんの予算を得ながら、生き延びているのである。あの、橋本聖子が税金で暮らしてきたと、批判されていたのは、それ故のことである。
今回、大阪や兵庫はたいへんなことになっている。飲食業界ばかり対策が叫ばれるのだが、感染率の高いウイルスなら、電車の車内でも感染する。それなのに、地下鉄もたいへんな混みようである。昨年の4月のように学校も休校にすべきであろう。イギリスでは、児童や生徒から教師への感染が問題になり、一斉休校に追い込まれた。それなのに、学校は、離任式や始業式が行われている。体育館での入学式もある。
おでん友達によれば、なんと、学校で送別会もあったという。なんじゃこれは?
とにかく、聖火リレーは、必要ない。それより、ワクチンがなかなか出回らない中で、本当にオリンピックができるのかである。
頑張っているのは、アスリートだけではない。私たちも、命をかけて生活しているのである。