アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

やはり犯人は高級国民なのだ

やっと東池袋の暴走事件の、87歳の容疑者の男が、退院した。あれほどの事件で、過失のない市民が亡くなり、たくさんの人々が怪我をした事件では、人ごとのように役職で呼ぶことはあってはならない。

やはり、高級国民なのだろう。

馬鹿らしい。

あんな奴が、国民の税金を吸い取っていたのかと思うと、納税などしなくていい。

弁護士の八代氏は「身柄拘束の問題なんですけど、横断歩道を渡っていた何の過失もない被害者2人が死亡している事件、事故なんです。それで実質、否認事件なんです。ブレーキを踏んだけど効かなかった、アクセルも戻らなかったというのは、恐らく踏み間違いという認定がされると思いますけども」と説明した。

 その上で「否認事件であって、今までは胸骨骨折で入院中だったので身柄拘束を見送るという運用は分かるんですが、退院されて事情聴取受けた時点で逮捕するのが普通だと思います」と自身の見解を述べた。そして「それをなぜ見送ったのかについて非常に違和感持っている人が多くて、やはり逮捕状請求の運用っていうのを警視庁は恣意的に行っているんじゃないかっていう疑惑を持たれると良くないと思うんですね」と言い、「逃亡の恐れがないからとしているが、じゃあ逃亡の恐れがなさそうな案件で逮捕してこなかったのかというと決してそうではないので、この容疑者に関してなぜそういう運用するのかもう少し詳しく説明していただきたいと思います」と話していた。

芸人の浅はかさ

吉本の芸人は、実入りが少ないとよく話しのネタにする。売れない芸人の貧乏さをひけらかして、悲劇の主人公としての立場を演出する。

むやみやたらと、テレビに出ている芸人は、少し顔を覚えてもらうと、なんでも出演するようになる。その人の何をしてテレビに出ているのではなく、とにかく、テレビ慣れした視聴者として、また、勉強不足の大人として出演しているのである。

司会もする芸人はいるが、たいていは、台本のセリフを棒読みしたり、いつもの癖で、出演者を茶化したりしている。慣れた連中の中には、言葉遣いも態度も、舞台のそれと変わらない程、低俗な発言もしている。

彼らが使う、俺と言う言葉は、しっかりと市民権を得て、幼稚園児まで連発している。何を持って賢いと言うのは諸説あるが、他人とのコミュニケーションをどのレベルで確立していくかは、その人の能力だと言える。

普段友達と話している言葉で、タメ口を連発し、わからないために薄ら笑いをし、適当に合いの手を入れている芸人のなんと多いことか。

今こそ、この言葉遣いの悪さと品の悪さの相乗効果を果たしている吉本芸人は駆逐しなければならない。

そうはいっても、またまた、不倫である。

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別の漫才師に面白おかしくツッコミを入れさせ、常習の宮迫の時のように、お笑いごとですますのである。

妻に叱られたと。

いや、ああゆう奴らは、嫁に怒られたと言う。

人権感覚全くなしなのである。

こんな奴らが、テレビに出て、いつもナンパをしているいい加減な生き方を、ひけらかしながら、社会を悪くするのである。

漢字が読めない恥

上皇が退位されるときの安倍晋三の挨拶。変だった。あれっと思ったのだが、やっとマスコミも騒ぎ始めた。というか、安倍の学力については、家庭教師をつけて、大学側に根回しをしての偏差値50である。国民の半分以上は、彼より賢い。

さて

安倍が4月30日の天皇(現・上皇)の退位礼正殿の儀で、
天皇皇后両陛下には末永くお健やかであらせられます事を願っていません」
 と言った。わたしも、あれっ変だと思ったが、語尾をはしょる、勉強の出来ない子供がようやく訳のわからない言葉を読み終える時の、語尾だけが早くなる、あの現象をいつも見て、バカだなあと思っていたので、また漢字が読めなかったのだろうと、二度見もしなかった。

報道によれば、『天皇皇后両陛下には末永くお健やかであらせられます事を願って已みません』と書かれていたそうだが、その『已みません』が、読めなかったのである。安倍が読み上げる原稿には、ふりがながふってあるのは有名な話で、さぞ、学力優秀な官僚たちは、アホらしいと思っているであろう。

庶民もネプリーグやQさまでの漢字の問題が多数出題されるので、かなり漢字は読めるようになっている。

それなのに阿部は、已みませんを、とまどいながら、いませんと読み上げたのである。


そういえば、以前、安倍は『云々』を「でんでん」、『背後』を「せご」と読んだのだ。

 右翼団体一水会ツイッターで早速、次のように抗議している。正しい。実に正当だ。
安倍総理が、4月30日の天皇陛下の退位礼正殿の儀で「天皇皇后両陛下には末永くお健やかであらせられます事を願って已みません・・あらせられます事を願って(已)いません」とやってしまった。これでは意味が逆。問題は、官邸HPから映像削除したこと。潔く字を間違えたこと認め不見識を謝罪せよ。』

これが、民主党の総理大臣なら、自民党はなんというだろう。沈黙は、自民党もバカだと露呈することになる。

お友達ばかり優遇し、森友事件では籠池夫婦を騙し、加計学園不正事件では、国民を騙し、そして、アベノミクスでは、国民生活自体を格差社会に仕立てた。

それなのに、あなたは許せるか?

 

維新の丸山議員の発言も、安倍の思想の成れの果てであり、仲の良い維新を使って、アドバルンを打ち上げたのかもしれない。

だから河野外相の批判トーンが低い。

ご用心、ご用心。

 

ナポリタンを作ってみた

家族にリクエストすると、久々にナポリタンが食べたいと言う。ナポリタン?確か先週も作ったはずだが。その時は、味がなかなか決まらなくて、ハインツのトマトケチャップをたくさん投入し、甘辛のケチャップパスタになった。玉ねぎは焦げるし、ピーマンはペラへヮラになる。それはそれは悲惨なナポリタンであった。

 

いつか、ナポリタンは、日本独特のパスタで、別にイタリア直伝のものではなく、戦後進駐軍の持っていたあり合わせの材料で作ったのが始まりだと言われる。だから、ケチャップは必需品だし、アメリカンパスタのように、伸びきったパスタが、乳化したソースと、ヘロヘロにまるでうどんのようなもっちり感を醸し出しながら、それでも洋食のような斬新さを残しておかなければならないのである。だから、どんな喫茶店でも、ナポリタンは、ハイカラで、それを食べることそのものが、イタリアンではなくアメリカンなのであった。

そもそもケチャップも、カゴメのようにトマトから厳選した繊細なものを使うことなく、デルモンテやハインツでないといけない。世界初は偉大である。

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ハムも、ぺらぺらのハムを長方形に切ったものではなく、粗挽きのソーセージを縦に切ったのが合うと思う。決して気取ってはならない。また、イタリア人のようにアルデンテなどこだわってはならない。パスタは濃いソースに合う1.8ミリがいい。なのに今1.6ミリや1.4ミリが主流でスーパーの店頭には日本製の太いパスタは見かけない。あるのは、早茹での1.8ミリである。あれはあれで時短というニーズを満たしてはいるが、なにか、ズルをしているような背徳感に駆られるし、モチモチ感がどのくらい出るか心配でもある。だから、イタリアの1.7ミリを使う。

今日は、ハインツのケチャップと、デルモンテリコピン1.5倍ケチャップ。そして、スーパーライフの粗挽きソーセージ徳用、ピーマン、エリンギ、ミニホタテ、そして味をまろやかにするために、トマトホール缶から作った、にんにく、ブイヨンと塩胡椒からなるトマトソースもケチャップと合わせた。

ナポリタンは、簡単である。ケチャップを効かしたトマトソースを作っておけばいい。パスタは時間少し前にあげて、水で洗い、もう一度フライパンで温めるという工程で、バターとトマトソースが乳化して美味しくなってくる。

今日はフライパンにバターを溶かし、ソーセージや自家製新玉ねぎ、エリンギ、ピーマンをにんにくを加えてさっと炒め、塩胡椒で下味をつけ、茹で上げ冷ましたパスタをいれ、トマトソースにケチャップを入れたソースを絡めていく。ヌルヌルになれば仕上がりである。自家製のパセリを刻んでトッピングすれば出来上がりである。

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なかなか美味しいです。

 

 

 

 

イエローハット、逮捕のあほらしさ

イエローハットのアルバイトが、放火等の疑いで警察に捕まった。警察は、高級国民には、優しく、特に勲章受理者にはビビる。かれらは、天皇陛下万歳の戦前の社会の復古が目的なのだ。それは、学歴のない、高卒武装集団であるためわけで、アメリカでは海兵隊のあほさとかわらない。自分では考えることはできない。全てマニュアルあっての振る舞いであって、判断はできない。気楽な公務員である。

だから、公務員仲間からは、バカにされている。消防士と比べて、給料は、半分でいいと思う。

それにしても、イエローハットのアルバイト従業員なんか、安いバイト代でかわいそうや。

正社員なんかあほほど給料もらってるのに。

 

でも、あれだけのことで放火の逮捕。

警察はほんまにあほな高卒武装集団だ。

再審有罪の検察官の名前を公表せよ

公務員は、国民の公僕としての責任があり、役割はそれだけだと断言しても良い。縛られるのは、日本国憲法だけであり、そのために宣誓書を書かされる。

さて、看護師の再審にあたり、またまた、検察は有罪を主張するという。

賢人はこの矛盾に向かい合えるか?

裁判所は、証拠や自白に重大な誤りがあるということで、再審を認めたのであるが、いやいや、私どもの目は、一点の濁りもなく誤りもなく、正義であると検察はほざいているのである。

ここで、国民の代理として、検察という仕事をしている公務員の主張を、我々は認めるのかどうかである。正当な理由もなく、ただ、そんなんいうても前に認めてくれたやんと言わんばかりの、浅はかな反抗に見える。

わたしは、この検察の態度を、国民に対する反逆であると主張したい。いや、騙しである。

公務員として、あれは間違いであったということは、昔は、切腹ものであった。いや、今回のように、罪を着せ懲役まで課したのであるならば、斬首に当たる。

裁判では、おそらく被疑者が無罪になるであろうが、無罪になった瞬間に、あの、逆転無罪の紙をカメラの前に掲げるのと同時に、該当の検察官の名前、住所、家族、電話番号等、個人情報を白日にさらしてもらいたい。関係者が少し努力すればわかることである。

話は変わるが、高齢者を狙った詐欺も、警察が本気で捜査すれば、犯人は捕まえられる。それをあたかも、騙される国民側が悪いという個人に責任を転嫁してしまっているのである。高卒武装集団である警察は、高級国民しか守らない。

しかし、賢者は、権力に簡単になびかない。

さて、話を戻そう。

検察が国民の税金を使い、それで生業を立て、人の手を煩わせ、警察の誤った操作に絆され、オラオラやっているのは、はたして国民の利益にかなうものなのであろうか。

高級国民さえ守れば良いという、安倍政権の株価至上主義に端を発した格差社会の連鎖の上にこの検察の態度は成り立っている。森友学園事件で、検察は不当勾留をした。小学生でもおかしいと気づく茶番をやった連中である。まずは、担当者を洗い出し、その責任が個人にあると明言するようにならないと、この嘘くその変な国家は、真の民主主義国家を名乗れないのである。