アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

自民党に入党し上級国民になろう。

ついでに日本会議に入ると、もう無敵だ。

何人平民をひき殺そうとも、車や歩行者や、とどのつまりは信号機、その日の占いのせいにして無罪になる。

東大の人脈と通産省のコネ、そして警視庁のスキャンダルをぶら下げれば、もう起訴などされない。吉本も見放題。

そんな、階級社会を加計学園ドロドロ癒着事件の安部は、作り上げたのだ。

もうすぐ、大阪で、またまた、身分制度のお披露目もある。大阪は、徳川でも秀吉でもなく、大塩平八郎なんやで。

犯人の飯塚幸三をさん付けした、朝日新聞

ついに止めたった。明日から持ってこんでええ。いつまでアホこいとるんや。従軍慰安婦を捏造し、流布した罪は、会社解散と同じ重責がある。昨日の神戸のバス事故の現場をバシャバシャ撮影したろくでなしも、朝日新聞やった。

許さん。

飯塚は即逮捕だ

奴は、東大出身、元通産省完了である。

上級国民。こんな言葉で呼ばれている。

飯塚幸三は、未だ逮捕されず、マスコミには「さん」付けされ、まるで被害者の1人のような扱いである。

自分の身に責任を持つ者なら、命を持ってその責を担うはずであろうが、世間を見下ろして生きてきたのにもかかわらず、まだ、トヨタ自動車の不具合だと責任逃れをしている。

おそらく、いつも、手柄は自分のものとし、失敗は他人におしつける、そういう仕事をしてきた輩であろう。

近くに住む88歳のお年寄りは、カッコ悪い生き方だと言っていた。このかっこ悪さは、ある面、戦前に生まれた人にある潔さ、潔癖さが下支えした評価であると思う。

同情していた無責任な夫の妻も、謝罪どころかまるで自然災害にあったそぶりである。

今回は、ついに若者もネット上で、不公平さや隠蔽体質を国民の身分にあると、叫び始めている。格差社会は、政治に無関心な若者でも、感覚的に掴んでいるのだ。もっとフランスの国民のように主張すれば良い。日本も昔は、1番最先端の若者が、社会の不正や欺瞞や悪習を蹴散らしてきたのだ。石を投げ、棒で叩き、やけくそで不公平な世の中を正そうとしていた。怯んではいけない。街頭に立ち、不正を訴えろ。相手は、お笑いの舞台まで上がり騙しの続きをする連中である。特権階級、検察も思いのまま。不正の一枚岩なのだ。

飯塚よ。自分の持ち金や持ち株を、全てかわいそうな母娘に差し出せ。それがダメなら、潔く自分自身でけじめをつけよ。

でも、取り調べも帝国ホテルなのかもしれない。

87歳で東京街中運転はアウトだろう

今日も池袋で高齢者の運転する車が暴走し、2人の方がなくなり、10人が怪我をしたという。

あれほど、免許の返納と言われているのに、もうこれはテロと同じ。

85歳を過ぎると、人は多かれ少なかれ尋常ではない部分が意識の領域で出てくるという。

車の少ない農村部ではないのに、のこのこ出てきて、不確かな運転をする。私の通勤コースにも、高齢者のドライバーが現れ、自分勝手な運転を繰り返す。信号が青になっても進まない、何でもないところで、ブレーキを突然踏む、40キロの道を30キロで走る。あおり運転とかのキャンペーンがあるから、何も口出しできない。

好き勝手にやりまくるのだ。

もちろん、高齢者といっても、若者に負けない人はいる。しかし、突然の病気の発生のリスクが高まる中で、いつ運転ができなくなるような重大な病変が現れるかわからない。だから、もっと監視をしてもいいのではないか?

また、高齢者は、燃費の良いハイブリッド車を勧められるらしい。金もあるがケチなのだ。

はたして、最先端の車を扱えるのか。ハイブリッド車は、燃費を気にする人が多く、画面もそのような運転を意識させる情報があるので、そちらが気になり、またノロノロ運転をする車が多い。

一体なんだろうなあ。

怖くて横断歩道を歩くこともできないではないか。死んでお詫びをしろ。アクセルが戻らなくなるはずがない

素敵な和歌山11 ラーメンを食べる

駅前の、ラーメン屋に来た。できれば、井出商店にでも行きたかったが、多分満員だろうと躊躇し、近くの店を選んだ。

JR和歌山駅の駅前は近鉄百貨店と、美園商店街がある。昔はスーパーマーケットもあり繁華であった美園商店街は、シャッターが増えてきて半分以上閉店している。しかし、中にはユニークな店もあり、夜更かしで有名になった和歌山弁のザジズゼゾが得意な洋品店「ふるたに」もある。「どうさん」と象さんを発音する、ステキなおばちゃんに会える。

その商店街にある、ラーメン屋さんが気になっていたので、単身突入した。

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すぐに、2人の女性店員の威勢のいい声で、ギョッとするものの、左側のテーブルに通された。そこには、会社の昼休みだろうか、二、三人のネクタイ姿の、サラリーマンが、ラーメンをすすりながら、雑談をしていた。中には、もうすっかり食べ終わってはいるものの、いよいよ「この45分の休憩時間は、この場所で過ごすからね」と、完全に世間話で盛り上がっている集団もいる。1人テーブルに通された。

やはり壁を背にして座る。メニューを見ると、湯浅醤油を使った醤油ラーメンが売りらしい。 醤油といえば和歌山、その中でも金山寺味噌と同様に醤油は湯浅が発祥だと言われる。

今は、千葉の調子や野田が有名になってはいるが、江戸以前は和歌山の特産であったのだ。和歌山からは、漁民の遭難が多く、黒潮に乗り千葉県の房総半島に流れ着いたことから、和歌山の文化として色々なものが伝わることになる。

稲わらの火で有名な浜口梧陵も、和歌山出身で、ヤマサ醤油は和歌山の伝統を受け継いでいるのである。その和歌山の、正統派、正々堂々の醤油が入っているラーメンなのである。

正々堂々の醤油ラーメンにまだ生醤油が乗ってくると言う、醤油好きならたまらないラーメンと、湯浅のおかかご飯のセットを頼んだ。

落ち着いて店内を見渡すと、和歌山ゆかりのものがたくさん置いている。徳川吉宗を始め、陸奥宗光有吉佐和子、浜口梧陵、南方熊楠など和歌山出身の有名人の写真と共に、それに関係した書物が積まれている。文庫本や伝記、中には専門書もある。なかなか、居心地がいい。特に、浜口梧陵の写真を見つけた時は、さすが醤油ラーメンと、感動してしまった。

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やがて、その生醤油入りだという吟醸醤油ラーメンと鰹節が乗った小さなお茶碗が出てきた。

定食の登場である。

もう浜口梧陵まであるのだから、思わず背筋が伸びてしまった。

 

さあ、食べようとしたら、先ほどラーメンとご飯のトレイを持ってきたお姉さんが再び白い化粧品の瓶のようなものを持って現れた。

む、む、む、お主なかなかやるなあ。と、これから起こることに身構えたのではあるが、彼女は、さっとその瓶を持ち直し、噴射口と思われる尖った先をラーメンに向け、◯◯醤油をおかけしますねと言って、プシュプシュその化粧品のようやなガラス瓶に入った黒色の液体を、かけ始めたのである。ああ、これが生醤油のアレなのかと、納得し始めた時、その見事なまでの滑らかな行動は、終わってしまった。

「それは、湯浅の角長ですか?」と聞いてみたものの、その醤油は、手作り醤油で有名な角長の濁り醤ではなく、丸新本家の醤油だという。そうか。そうだったのかと、新たな湯浅の醤油会社の台頭に焦りつつも、知ったかぶりをして、「なるほど」と、変に納得したふりをしてしまった。

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スープは、真っ黒だが、そんなに辛くない。旨味の上に、醤油の匂いが押し寄せてくる。なのに麺はコーティングしているかのようなツルツルのシコシコなのである。旨いが、3つぐらい出そうな味である。シコシコとした硬めの麺のかみごたえと、醤油の香りがわんさか口の周りにまとわりついてとても美味しい。

これなら、ラーメンを大盛りにしておくべきだったと後悔した。

おかかご飯にも、湯浅醤油である。

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こうなったら塩分も何も関係ない。大豆由来の食品なのだから、健康なのだと醤油を愛でながら、食べ続けたのである。

嗚呼、また食べたい。

 

元号ってそんなに騒ぐことなん?

なんだかんだ騒ぎつつ、選んだ漢字が令和であった。もう誰かれと使うためか、れいわと書くと令和と瞬時に 変換される。

昨日は、せっかくの楽しみなテレビ番組が、すべて特番で消えてしまった。そのテレビには自民党の幹事長の醤油顔が繰り返し登場し、あの額もなんども放送された。

グローバル化の中で、西暦の他に暦の読み方を持っている日本は素晴らしいとか、令というのは清々しさだと、おおよそ今では考えられない解釈をして、新元号を褒め称えていた。我が家の感想は、「なんじゃこれ。かっこ命令するから大人しく聞けという意味ちゃうか。」とか、「どう考えても冷たい感じかする。」という意見が体制を占めた。

出典が万葉集てあったのも、ふざけている。日本書紀古事記ならまだしも、万葉集は歌の本であり、このふた文字は物事を形容する使い方をされているのであり、それが素晴らしい意味をもっているわけではなく、ただだいたいねと

好きな時には、かたくなに

やっぱ大阪

ジェイアール大阪駅環状線の出発メロディは、やしきたかじんの「やっぱ好きやねん」である。大阪独特のひつこさを感じさせない、中途半端ながらさわやかなアレンジになっている。

そのやしきたかじんは、生前、歌手としてより庶民の不満をマスコミで、怖いもの無しで訴えていた。新地の帝王、影の実力者と言われながら、彼の潔さやわかりやすさ、生活と直結した経済感覚に共鳴する人が、やがて市長や知事に立候補して行った。スタンツは「東京がなんぼのもんじゃい」である。東京一極集中を問い機会が多く、それに加えて、政治体制を問う事も沢山あった。

同じように東では、みのもんたがその役割を演じていた。2人とも平仮名であったことが面白い。

どちらも、不正や不義理を真正面から切り込んでいった。当時の野党も、それなりに労働者や、生活者の代表になり得るだろうと、国民は信じていた。

 

しかし、大阪で始まった改革は、保守の一部と化し、政権のお友達と化した。だから、今の選挙は、保守同士の戦いであり、言ってみれば生活者の生活が豊かになるものではない。人を使う、労働力を使い利益を上げる集団なのである。そのくせ、やしきたかじんの遺志を受け継ぐ集団は、 政治制度の改革こそが労働者や生活者にとって、第一の課題であるという。

そうだろうか。そんな甘いものだろうか。経済の基本的な理念なしに、今の矛盾は行政の制度の怠慢から生まれているとする考えである。

パート労働者の身分や、保育所の問題と、経済や勤務に関する制度を変えていくことこそ、政治なのであるが、保守の一翼を担い、お友達と化した元野党は、大阪の人々を知らず知らずのうちに、ケムに巻いているのである。

そういう図式を、うまく論点を外している連中だとなあと笑っているうちにも、なんと、周辺の地方選挙にも同じことを言いながら第二の保守の立場で立候補しているものがいる。

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大阪は、大塩平八郎の乱の町である。世の中を変えるなら、政権に牙を剥く心意気が欲しい。