アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

中国も北朝鮮もロシアもみんな同じだ

今日、トランプ大統領が、久しぶりに納得する意見を話した。

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I am very disappointed in China. Our foolish past leaders have allowed them to make hundreds of billions of dollars a year in trade, yet......they do NOTHING for us with North Korea, just talk. We will no longer allow this to continue. China could easily solve this problem!

 「中国にはとても失望した。われわれのばかな過去のリーダーたちは彼らに貿易で年間数千億ドルを儲けさせてきた。・・・だが彼らは北朝鮮についてわれわれのために何もしていない。ただ話しているだけだ。われわれはもうこんなことが続くことを許さない。中国は簡単にこの問題を解決できるはずだ!」

 

別に、中国が憎いわけではないが、日本に対しても、アメリカに対しても、まともな対応をしてこなかった怒りは感じる。トランプ大統領が、自分よりも前の大統領の事をよく言わないのは、いつものことであるが、それを差し引いても、言っていることは、その通りなのである。

1978年、鄧小平が、日本に産業発展と、ものづくりの国として工場の建設を求めて来た。共産主義の国なら、国営にし国民を集めて製造を行うことが、当然のやり方のはずであった。しかし、中国共産党が、日本の会社との契約者となり、国内に工場を建設する権利を、党の独占として一手に握り、交渉を行った。

作らせてあげましょう。それなら、党にお金をください。という契約の仕方である。おまけに、工場は、中国共産党との共同経営となり、党はますます私腹を肥やすことになった。

さらに、お金に執着した党の幹部は、鄧小平の、改革・開放路線のもと、「先に豊かになれる者から豊かになれ」という言葉に乗じ、先ず自分から豊かになろうとした。

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1979年、松下幸之助自ら鄧小平と、君子の約束を交わした松下電器産業は、その鄧小平の中国の発展を希求する熱い想いを組し、それを信じて真っ先に工場を建設した。

工場を輸出することは、製造のノウハウを教えることにつながる。明治の初めに日本は富岡製糸場などの官営工場を建設し、技術者を高額で雇い入れ、産業の発展に繋げた。

それに似ているが、次第に安い労働賃金を利用していると足元を見られ、高い契約金を言い値で払わされるようになった。

聞いた話では、合資会社の形態をとり、半分は日本の資金、半分は日本が中国共産党の名前で出した資金。結局、中国共産党は、何も払わないで、半分は自分の資産になるという仕組みなのだ。

こんな事をして、中国共産党の幹部は私腹を肥やし、その利益やものの豊かさは国民の手に渡らなかった。

これが実態なのである。

 

日本の善意は、中国共産党の指導のもと、一般の国民に伝わらず、嫌日教育と共に、軽んじてられるようになっている。新幹線も、走らせてほしいというから、川崎重工などが建設をしたものの、すぐにコピーされ、自分たちが研究開発したとうそぶき、他国へ安価で売りつけて来ている。

人の話は聞かない。民主主義は知らない。独裁政治は、北朝鮮と全く同じ構造なのである。

中国の日本企業が外交がらみで、襲われ破壊行為を受けた。あれは、絶対中国共産党の指導で、動員された連中が演じたのだという事を忘れてはいけない。

 

そんな危ない国が、2つも近くにあることが、日本人にとって1番不幸なことである。中国からの旅行者は、日本に来て何をしているのか?何を見て帰るのか?

 

だんだんヒートアップしてきた。

しかし、実は、北京はもう5回も訪れている。人民大会堂で、2回、中国の団体と交流会をした。西安、南京、などあちこち視察旅行もした。省の政府の知事と会食もした。一人ひとりの人は、とてもいい人が多い。親しい友だちもいる。

高校生の時は、倫理社会の授業時間に、「毛沢東」を研究し発表をした。矛盾論も新民主者議論も買って読んだ。北京放送局から、記念カードも貰った。

一生懸命頑張っていた頃の中国は大好きなのである。

だからこそ、覇権主義で人権無視の醜い社会体制を見せつけている中国が、情けない。

旅行者は、どんなつもりで、やってくるのだろう。日本の何を理解して帰るのだろう。

心配になる。

 

ディズニーランド物語2

アメリカのディズニーランドはカリフォルニアとフロリダの二箇所にある。

 

ずいぶん大人になっても、仕事に没頭していたため、いつしか、カリフォルニアのディズニーランドのことを忘れていた。すでに東京ディズニーランドもできていたが、ウォルトの夢の街が、日本にあるわけがないと、あまり興味が持てなかった。

しかし、訳あって(長くなるので中略)ついに、アメリカ西海岸を訪れることになった。25日間。しかも、ブラジルから来た日系二世の大学教授の通訳付きである。おかげで仕事は、素晴らしく順調にすすみ、資料も視察も10日ほどで終わってしまった。その後、会議の都合でサンフランシスコから、ロスアンゼルスに移動したが、肝心の通訳の先生は、学会か何かの用事で突然ブラジルに帰ってしまった。日本からの、視察団本体は、まだ1週間近く来ない。その間、何とか生き延びることと、アメリカに関して研鑽を積む事を目標に、街に出ることにした。何か、調べ物をと考えたのが、ディズニーランドである。アナハイムの安いホテルに宿泊し、ディズニーランドに日参した。

 

ずいぶん前のことなので、詳細はあまり覚えていないが、一つ一つ尋ねられると蘇ってくる。

午前中は、雑用やリポートの整理をし、子どもの時夢にまで見たディズニーランドに、昼からシャトルバスで乗り付ける毎日を送った。

 

初めてパレードを見たときは、感激して涙が出た。観客はみんな外国人。その人たちの喜びようは、すごい。その中で、1人でいることは、いわばアメリカ人ばかりのジャグジーに、1人チョンマゲをしてふんどしで浸かっているみたいなものであった。

 

マッターホルンボブスレーに並んでいるとき、前にいた小学一年生ぐらいの子供が、突然話しかけてきた。何か間違ったのだろうかとあわてたが、何度も同じ事を言うので、しっかり聞いてみた。

「今日はお父さんとお母さんとで来たのだけれど、2人とも食事の後はゆっくりしたいと1人で遊んでおいでと言われた。このアトラクションは、大人と一緒でないと乗れないので、一緒に乗って」と、言うのである。

順番が来ていたので、あまり考えず「いいよ」と言ってしまった。

乗り口のキャストに、ファミリー?と問われたが、こちらが言う前に、その男の子は、「イエス」と、答えた。すんなりと乗る事ができた。男の子は、白い肌に金髪。

 すると、キャストは、ニコニコ笑いながら「OK」乗せてくれた。

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もしも、金髪少年に何かあたら大変だと、後ろから、きちんと座れだとか、よそ見するなとか、声をかけたが、あまり効き目がなかった。終わると、「サンキュー」と言って、走って立ち去ってしまった。

 

人気のインディー・ジョーンズのアトラクションは、シングルライドなので、乗り放題状態であった。12人乗りのジープがどこでまがるとか、どこで矢のような風が吹いてくるのかは、しっかり覚え、それなりのリアクションができるようになって来た。何度目かの時、いつもと同じように、シングルのラインに並び、どんどん行列を追い抜いていった。

4、5人待った後、キャストに「ワン?」と尋ねられ、いよいよ乗車となった。3列目の1番左。ジープといっても、簡単に言えばジェットコースターなのである。1番前も怖いけれど。1番後ろも結構根性がいる。それも、1番端。もう、出発準備完了というところに呼ばれたのだ。しかし、座れない。隣の女性の脚もお尻もはみ出して来ていたのだ。3人ともすっごくふくよかで、もう最後列は3人でいっぱいではないか。もう、朝の通勤ラッシュでの、押し屋のアルバイト青年がいないとおさまらない状況にあった。それなのに、左足が入りきらないのに、安全ベルトが金具に止ったとたん、車は動き始めた。隣の3人は、もうテンション全開。ワーワー、キャーキャー、騒ぎっぱなし。もうこちらは、遠心力で3人のお姉様方の尋常じゃない体重が一気にかかり、足どころか、体までもはみ出し、このままでは残念な結果を招くかもしれないと心配になった。それでも、お姉様方のテンションは、下がらない。それどころか、こちらが体制を整えている最中にもかかわらず、盛んにギャーギャーと、最高だ!信じられない!とわめき、同意を求めてくる。それはそうなのだけれどこちらは、たった一つの自分の命を守るために、体がジープから落ちないように奮闘している。まさに、映画のインディー・ジョーンズと同じである。

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ようやく、アトラクションが終わり、ジープから降りるや否や、隣の席の半分座席を占領していた女性が、 背中をどんどん叩いて来て、どうだい良かっただろうと聞いてくる。そうすごくよかったと、感謝の言葉を伝えた。3人が肩を並べて帰る様子を見て、よくあの座席に収まっていたものだと感心した。同時に、それなりに後1人乗るために、我慢してくれていたのだなあと、気づいた。

 

今となっては、懐かしい楽しい思い出である。

 

最後まで、ご購読いただきありがとうございました。

ディズニーランド物語1

まだ小学生の頃、その頃のアメリカへのあこがれは、すごかった。外国人を外人と呼んでいた頃であり、欲しいものは何でもアメリカにあった。
「うちのママは世界一」や「パパは何でも知っている」などのテレビドラマでは、部屋の電化製品の多さや、その大きさをいつも羨ましく思っていた。それ以上に、家の大きさ、体の大きさも憧れであった。何部屋もあり、ダイニングから自分の部屋に帰って行く子どもたちの姿を見て、やはり戦争に負けたのだと感じた。
「海底科学作戦 原潜シービュー号」では、アフレコの意味がわからくて、外人が日本語を勉強して話していると勘違いしていたが、近所のおじさんに、そうではなく、日本人が化粧をして、外人になりすましていると教えられ、長くそう信じていた。
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「ライフルマン」「ターザン」「ララミー牧場」などのテレビドラマで見る外国は、素晴らしく、何でもまねをした。
幼稚園の時にはライフルを、一年生では、2丁拳銃をサンタクロースにもらい、胸に保安官バッジをつけて、町内をパトロールした。
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当時は、犬は番犬であり、猫はネズミ捕りという、立派な家族としての役割があった。犬も猫もその願いにしっかり応えてくれていた。そういう社会に風穴を開けたのが、「名犬ラッシー」であり「わんぱくフリッパー」である。本来とは別の活躍をして、人間を助ける動物の登場である。
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イルカは飼えないし、フロリダほどの広大な湿地帯はない。イルカは飼えないから、もう自分がイルカになるしかないと、プールで立ち泳ぎをし、跳び上がって後ずさりして泳ぐのが小学生の間で流行った。今で言うと、シンクロの先駆けのようなものである。しかし、ラッシーなら何とかなるかもと、コリーを飼うのがブームにもなった。家では、白いスピッツのチコがいたので飼えなかったが、学校の帰りによく道草をして、友達の家のコリーを触りに行った。

ディズニーランドの話がまだかとお怒りの貴兄に、そろそろ金曜日の午後8時の話をしていきたい。8時からは、三菱ダイヤモンドアワーとして、プロレスとディズニーが、交互に放送されていた。
当時大人気であったプロレスでは、試合の開始前やCM中には三菱電機の掃除機「風神」でリングのマットを掃除し、それをアナウンサーが、必ず解説していた。そんなにも、プロレスをすると床が汚れるのか、そりゃ土足だからだと変に友だちと納得し、プロレスごっこをする時には、次の試合の開始までに、誰かが風神で掃除する真似をし、臨場感を高めた。

プロレスがない週はディズニーである。その日は、プロレス好きの父は少しがっかりしているようで、子どもながらよくわかっていた。ディズニーが、始まっても、子どもたちは、油断してはいけない。

番組は、4つの国に分かれていて、それをウォルトディズニーが様々な解説をし、ティンカー・ベルが妖精の粉をふりかけて、お話を選んでくれるのである。

TOMORROWLAND(未来の国)
FANTASYLAND(お伽の国)
ADVENTURELAND(冒険の国)
FRONTIERLAND(開拓の国)
中でも、お伽の国は、アニメであったため人気があった。同時に、星に願いをが流れ、何とも幸せな気持ちになれたのである。

中には、当時カリフォルニアのロスアンゼルスに建設していた、ウォルトの夢の街、ディズニーランドの紹介もあった。

それを見ていた父は、ビーバーも大人になればいけるかもしれないなあ。とポツンと言った。そうであってほしいと願ったが、何しろ、当時の日本人の目標は、ハワイである。カリフォルニアなど、夢のまた夢で、庶民は何とか、ロート製薬の「アップダウンクイズ」に出場し、10問正解して、ハワイへ飛行機で行くことを願っていた。

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新婚旅行での定番は、宮崎。伊東に行くならハトヤ、電話はヨイフロ。当たり前田のクラッカー。美味しいとメガネが落ちるんですよ。などと言いながら、誰もが豊かになりたかった時代である。

 

今や、その時よりはずいぶん豊かになった日本は、中国人や外国人の自己本位の行動をたしなめるが、今から半世紀前の日本人も、変わらなかったのである。

 

その後、何とか大人になり、大学生の時から海外旅行に行けるぐらい、日本は豊かになるのであるが、それは次のお話。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

次回をお楽しみに。

がんばります。指疲れました。

 

 

愛犬りょう 3

毎日暑いが、太平洋高気圧が、なかなか元気にならず、日本列島は、気圧の谷にあるせいか、まだましな方かもしれない。

高齢の柴犬りょうは、暑さに負けず、ますます元気だ。しかし、外犬のりょうは暑がっていると、勝手に思ってしまっているまたまた高齢の母親は、りょうは可哀想だと、自分の部屋にあげて、今日もエアコンにあてている。

 

りょうも、それはいいことに、座敷の一番涼しい場所を見つけ、そこに腹をつけてイビキをかいて寝ている。

涼しい場所を見つけてと書いたが、すでに書いたように、りょうは目が見えない。あちこち、ゴソゴソ動きまくり、最終的に1番冷たいところに行き着いたらしい。そこは、ちょうどその部屋のエアコンが1番当たる場所であり、動物的な感に、驚いてしまった。

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この後、目が覚めたら、水を思い切りのみ、ぐるぐると左回りに回り続け、また、バタンと倒れ込んで寝るのである。

 

1番気をつけなければならないのが、うんこである。先週は、部屋の真ん中にしたので、二日間出入り禁止になっていた。りょうも、たくさん餌を食べるとか、通路の真ん中に寝ないとか、母のご機嫌をとっていた。

 

それにしても、昨夜、近くのスーパーに買い物に出かける時、りょうが犬小屋の横に寝ていた。お腹が動いていないのでもしやと思って、顔を持ち上げるとグターっとしている。「えらいことだ、りょうが」と叫びそうになったとき、ばたばたと起き上がり、きちんとおすわりをした。よかったと安心し、「長生きしてよ」っと、スーパーで、りょうにおやつをかってあげた。

ひょっとしたら、りょうの作戦だったかもしれない。

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今日起きたとき晴れていたら、体洗ってあげよう。

冒険されてはたまらんチ会長

一昨日か昨日、あの田原総一朗さんが首相に会い、食事を含めて数時間何やら話し合いをしたそうである。

首相は、近く何かを決断して、政治生命をかけて冒険をやるそうだ。そうするように、説得したという。

なんてこった。パンナコッタ。

2人とも危なっかしい人間ではないか。第一、田原さんは、何がしたいのかよくわからない。相手の懐に入っての歯に衣着せぬ語り口はとても好きで、朝まで生テレビもよく見たが、あの横暴な息もつかさないエネルギッシュな司会進行に、逆にしばしば反感を覚えた。関口宏さんより自分の意見をはっきり言わないのであるが、それゆえどうまとめるのか、わかりにくい。朝まで放送はなかったが、最後まで見た試しがない。

テレビが、なんぼのもんじゃい。勝手にしやがれと、沢田研二のように捨て台詞を叫びスイッチを消していた。

 

さて、冒険とはなんだろう。首相が、朝の官邸への通路で、ピスヘルメットを頭にかぶり、首から双眼鏡をぶら下げていれば、いよいよだとわかるが、今はまだ、勝手に無責任な想像をするしかない。

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第1に、支持率上昇のための手段として、小泉純一郎の作戦を真似て首相が北朝鮮に行くのか?その時には、あのアントニオ猪木さんや、金正日の専属料理人である藤本健二さんに連絡する必要もあろうが、短時間で可能なのか?

それとも、それを可能にする措置をするのか。しかし、中国やロシアの了承をとらないとややこしいことになる。ロシアはともかく、中国は不透明である。それより、もしかの時には、アメリカは何の役にも立たない。

 

第2に、解散総選挙なのか。政治生命をかけて何かをやる以上、逆風の中でやるというのは、やはり冒険になるであろう。民進党も総崩れだから、ちょうどいいかもしれない。はいはい、憲法改正、第9条破棄という、あなたが本当にしたいことを正直に論点にするなら、受けて立ちましょう。でも、いつもみんなが困っている経済を前面に、誰もが幸せになれるようにな美味しいことを並べ、1番後ろに1番したいことをこっそり書くものだから、ずっと騙され続けてきた。実際経済政策は失敗。日銀も迷走し、お得意のお友達作戦。海外の信用は全くなし。多額の借金。何一ついいことはない。でも、今ならまだ錯覚し続けている、あんな人たちもいるのだから、総選挙に行ってしまおう。庶民は所詮バカだからと、解散をするかもしれない。次の総裁選は、ダメかもしれないし、確実に勝つためには、もう、総裁という名を総統に改める方が自分らしくていいかもしれない。かもしれないの連発だから、これもありえないかもしれないか。

 

第3は、自民党を引き締めるために、連立を解消するという冒険。選挙には、弱くなるが、もう連立の組織票といっても、自由投票に近い状態の選挙区もある。東京は、組織票ではなく、浮動票があの結果を生み出した。政党支持者なんかあてにならない時代になってきている。一人ひとり、国家のことを憂い考えているとは思えないが、誰かに頼まれたり、組織に強要されたりして投票することに抵抗感を持つ人が出てきた。そう思えば、選挙に勝つだけの連立は、本来政党としてフェアなものなのであろうか。原点に立ち返るということは、当たり前のことであって冒険とは言わないかもしれない。

 

第4は、内閣改造において、今より幅広く各政党より人材を集めるというもの。支持率は続落だが、他党もはっきりしない。政治の危機として、今の連立以外に維新や諸々の小規模政党に接近し、敵を減らして行くという冒険。これでは、投票率は下がるが、与党は維持できる。いまなら、ファーストは、全国体制も取れていないし、安保体制では自民党と同じ考えであるから丸め込めないはずがない。極めて現実的であるから、これも、冒険とは言わないかもしれない。

 

と、いうことで、2人で何をどう話し合ったのか、どうして田原さんは手ごたえを感じたのか、わからないことが多いが、とにかくたった2人だけで相談しないでほしい。

 

このようにして、学部も決めたのだろうなあ。

 

 

JRよ、変われるか?

 

昨日は、青春18きっぷを買った。

遅いぐらいだが、明日から早速利用していきたい。JRの前身の国鉄には、祖父の兄弟や子どもが数名勤めていた。駅長もいたし、機関車を組み立てていた機械工もいた?確か運転士もいたと聞いた。

昔は、その家族はすごく厚遇され、僅かの料金で遠方へ旅行できた。そのおかげで、祖父は、何度も富士登山に出かけたという。今も、そういう厚遇があるというが、実際は、どうだろう。

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子どもの時は、プラレールに明け暮れ、多くの鉄路を建設した。しかし、小学校低学年のわたしは、鉄道マンとしての夢はもたず、かといって野球選手のそれでもなく、当時は、大人になってモーツァルトの歳になると、死んでしまうと勝手に解釈し、不安感でいっぱいの毎日を送っていた。 

たまに、家族で快速に乗って大阪に出かけたり、宝塚に出かける時は、とても楽しみだった。しかし、ある日、国鉄の車両のドアで指を挟んでしまい、駅長室で、赤チンを塗ってもらったり、隣町に転校した友だちを訪ねていき、財布を置き忘れるなど、嫌な思い出もある。

JRは、ずいぶん車両が新しくなり、駅舎も美しくなって来た。1番変わったのがトイレである。

未だにティッシュを売っていたり、自動洗浄でないトイレもあるが、都市部ではかなり良くなりつつある。

トイレの清潔さは、文化の豊かさを表す。綺麗に使われているトイレは、そういう生き方をしている人がいることを示す。そういう意味で、もっとトイレを綺麗にしてほしい。

 

さて、ジェイアールの新しいCM。

混み合う車内で

「息子を見かけた」

「声をかけなかった」

離れた席で座っていた息子が、見知らぬおばあちゃんに席を譲る。

父親はなんともいえない満足な笑みを浮かべて前を向く。

その合間に、絶妙のタイミングで、「切手のない贈りもの」の曲が流れる。

 

「私からあなたへ この歌を届けよう

広い世界に たった1人の

私の好きな あなたへ」


5月中旬より流れているCMだが、そうだそうだよなと、思わずうなづいてしまう場面である。

知らない人に、人前で席を譲る行為は、よく考えれば、すごく勇気のいることである。

しかも、自分の気持ちをうまく相手に伝えなければならない。そう、短時間に。簡単に。しかも断られないように。

席を譲る相手がどこまで乗車するのか。荷物は邪魔にならないか。右側に立つのか、それとも左側に立ち上がるのか。譲った後どこに立つのか、周囲の人たちはその行為を賞賛してくれるのか、周囲の視線をかわすためにはどこへ消えるのか。

そういう課題に対処しつつ、全ての思考力を動員して、席を譲るのである。

当たり前のことは、いつもそうしていないと、そうやすやすとできることばかりではない。

そういう席を譲るという息子の善行を、目の前で見たらきっと感動することだろう。

 

そういう人に育てるのも、小学生ぐらいからのスキルが大切だ。

 

実際、小学5年生の時に、市バスで偶然目の前の席が空いたので、買い物帰りでたくさんの荷物を持っていた母親に席が空いたことを伝えた。そうすると、母は、少し離れた場所に立っていたお年寄りを連れてきて座らせてしまった。

素早く。いとも簡単に。

 

それ以来、空席があってもできるだけ立つようにしている。

 

「年老いたあなたへ、この歌を届けよう。心優しく育ててくれた、お礼がわりにこの歌を。」

 

さて、ジェイアールのCMは.まだまだある。「次の一歩へ、地域と共に」がテーマだそうだ。

ぜひ、福知山線事故の教訓を活かして、全ての人に優しい会社として、世界一安全な会社として、そして、あんな高額な寝台車など廃棄して、誰もが等しく楽しく体験できるサービスを提供する会社として、変貌してほしい。

 

もちろん運賃も外国人観光客並みに安くして。お願い❤️

 

お題「好きなアイス」

子どもの頃は、当たり付きのアイスが好きであった。味が好きだというのではなく、当てる楽しみがあったからだ。今も、キャンペーンもののアイスがあればすぐ手が伸びてしまう。ホームランバーも当たりが出るということから、潜在的に好きである。

さて、本当に好きなものと言われると、長持ちするがグチャグチャにならないものや、後味はひつこくないものがいい。

そういうことで、イチオシは、

「井村屋のあずきバー

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 1896年、井村和蔵が松阪市で創業したのは和菓子屋「井村屋」であった。

1947年、2代目の井村二郎が株式会社化し、「肉まん・あんまん」や「氷みつ」を販売し始めた。そして、あずきバーは、1972年販売が開始された。7月8月と言えば和菓子の売り上げが伸び悩む時期である。そのため、あんこのお菓子を食べてもらおうと開発されたという。

あずきバーは、ぜんざいをそのままアイスにしたもので、乳化剤や安定剤などの添加物を使用せず、乳固形分がなく、余計な材料がほとんど含まれていないことや、空気の含有量が少ないこと、近年甘さを控えめにしたため、水分量が増加したことによりますます硬くなってきている。そう言えば、昔はすごく甘く、もう少し柔らかかった。

 関市は、ふるさと納税の返礼品として、特産の包丁とあずきバーを送るとしている。そのぐらい関の刃物でないと歯がたたないということであろう。

1本の熱量は、98キロカロリー。100粒以上のあずきが入っている。6本入り一箱330円の希望小売価格であるが、実質スーパーでは、198円で買える。

姉妹品に、ミルク金時バーと宇治金時バーがあるが、其れ程の硬さはなく、あずきバーが最高である。

 

タカラトミーは、 あずきバーを削る道具を開発し販売している。やはり、硬さとの闘いであったらしい。近くのエディオンに買い物に出かけた時に、偶然あずきバーを持っていたので、店長からありますよと勧められた。ファンは、たくさんいそうな雰囲気である。

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井村屋は、今キャンペーンをしているが、なかなか当選人数が少なく当たらない。それでも、10箱分のアズキングマークを集め、今年の夏は、2枚も応募している。

 

やはり、当てものが好きなのかなあ?