アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

またまたGOTO始まる

衆議院選挙がやってくる。

この度の政府のカスぶりと、ワクチン開発ができない日本の技術の衰退ぶりを体感した。

政権支持率は27%。

土建屋や、旅行業者、金融業、吉本、自衛隊など、政権与党と利権で結びついたコアな支持者は、有権者の約3割なので、ほぼいっぱいなのである。

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さて、菅首相も退陣すると言う。国民はこうすることで懺悔は済んだとすぐに許すだろう。簡単にやめるぐらいなら、初めから首相などしなければいい。いい加減な判断で、オリンピックだけやりたかったのなら、その間亡くなられた人たちは浮かばれない。

そういういい加減で、日和見主義な金儲けばかり気にしている政党なのだ。首相候補は、またまた、代わり映えのない連中ばかりで、また誰か裏で糸を引くのだろう。

 

ついに、またまたGOTOトラベルが始まるらしい。安全にさえなっていれば、放っておいてもみんな旅行ぐらい行くだろうが、それにわざわざ税金を注ぎ込むのだ。これも、コロナで仕事を失った人への配慮ではなく、鉄板支持者の旅行業者への配慮である。自民党は、とことん仲間には甘い。単なる利益分配政党なのである。つまり、人に働かせて暇でたまらない奴が、税金を使って遊んでやる政策である。

 

鉄板支持者の旅行業会だけでなく、吉本芸人にもその分け前が振る舞われるだろう。吉本新喜劇みんなで行こうツアーなんぞが、企画されるに違いない。

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ついでに、人材派遣ぼったくり企業パソナ淡路島ツアーも、もちろんつまらないけど税金が使われる。

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淡路島の友だちが、悪巧みの島になっているとぼやいている。

2年の減刑の意味がわからん

東池袋の、高級国民爺さんの交通事故死の判決が言い渡された。自動車の不具合を理由に図々しくも無実だと言い切る、ほぼ、認知症レベルの判断力に、なんの反省もしない。いや、できないのであろう。

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人は、能力の差はほとんどない。ものを覚えることぐらいは記憶がよく残りやすい人と、残らない人がいる。その僅かな違いで学校があてがわれる、ほとんど運でしかすぎない入試で、学歴が決まる。東大出も、大したことはない。

 

芸人の宇治原は、常に京大を前面に押し出し、関西の番組で、それ以外の大学なら大したことがないと平気で言う。在阪の放送局はまるで新自由主義の権化のような番組ばかり作るので、学歴をバカにする番組でも違和感なく放送する。

 

学生に聞いてみても、あかんやろと、みんな不快なのであるが、毎日放送でもそのスタンスは変わらない。

東大王がどうしたというのだ。

 

話を戻そう。

 

爺さんはあくまでも車の不具合だと言い続け、ちょうどプリウスアメリカで順調に売れていた時に自分の運転ミスを車の不具合だと主張し、何百億円もぶんどったアメリカ人を思い出す。あれも、どうして支払ったのだろう。トヨタは、まるで黒船来航の頃の文化も技術も遅れた日本人そのものである。

 

今回は珍しくプリウスには不具合はなく操作ミスだとトヨタは主張した。

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に爺さんは、全く非を認めない。それなのに、どうして2年の減刑をしたのか。どうしたアメリカ人には、過失を認めたのに、日本人には、厳しい。これも、会社の日本人を卑下する差別的な会社のアイデンティティなのだろう。だからトヨタ車は買わない。

2年間は、薬師寺の写経千巻をさせれば良い。

続お弁当物語1

久しぶりにお弁当を作った。

今日は、菅首相衆議院解散の話から始まり、小室のどさくさ結婚話まで、ケッタイな1日であった。学校の二学期が始まり、いよいよ、未知との遭遇である。

医療関係者がそうであったように、今度は教育関係者が政府の無策に翻弄される。自己責任と言われながら、早い話、ほっ散らかしなのである。

これから、学校がパンデミックに見舞われる。

 

モデルナの遺物混入の件は、どういうことなのだろう。薬にはなく、注射器にあったというまたまたケッタイな話である。薬はスペイン製、注射器は日本製のはずである、

針の中に潜んでいたのであろうか?

 

お弁当🍱

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18穀米のごはん 胡麻昆布入り

しらす

自家製ネギ入りお好み焼き風卵焼き

にんじんのグラッセ

野菜五目豆煮

ガンモドキの煮物

レタス🥬

豚ロースの冷しゃぶ

自家製ししとう

 

こんな時に総選挙だなんて

コロナはまだまだ大変である。

あれほど、若者は大丈夫と、太鼓判を押していたのに、もう、やめられない止まらないかっぱえびせん状態になってきた。

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パンデミックには、音楽や演劇などの芸術が癒しの効果が高い。人にもよるが、音楽より同じ人が演じる演劇の効果は絶大である。芸術性は低いが、漫才などお笑いも少しは効果はある。

 

阪神淡路大震災では、当時の貝原兵庫県知事がその芸術の大切さを心の復興と結びつけ、いち早く県立芸術文化センターを設立した。コロナ前までは、立派にその役割を担うようになってきていた。

 

きめ細かい準備と、賢い判断が求められるのにもかかわらず、衆議院を解散するという。次第に内閣に不信が集まりもうこれ以上支持率が低くなると、選挙が困るのだということである。

菅は、自分の人気のなさを、この際、党の役員の責任とし、三役人事にも手を出すようだ。

そこに、口だけうまい小泉を持ってきて、人気回復を狙うのである。

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こんな時も、自民党は、利権を与えている鉄板支持者やアホノミクスで儲けた金持ちが、国民の3割いる。

内閣支持率がなかなか3割を下回らないのは、そのためである。

日本の選挙は投票率が5割6割台だ。

だから、鉄板支持者の3割は、自分がえこひいきされているために、髪を振り乱して自民党議員に投票する。自衛隊のようにバスでお霧迎えして、投票させる。

野党は一騎討ちをしなければ、票が割れてしまい、あとの2割3割を全て取ることができない。だから、世襲で地盤やカバンが十分な自民党がいつまでも、あの程度でも政権を取っているのである。

 

投票率が上がれば、この仕組みはかわる。人の能力は差異はない。高卒も学士も博士も、そんなに変わりはない。それなら、私たちの言い分を聞いてくれる政党を選んだり、女性議員に投票したりすれば、70年も金持ちだけがいい目をしてきた社会は変わる。

 

このコロナで見えてきたものは大きい。経済格差、自然破壊、気候変化、残業などの働き方。ゴミの回収で頑張る人、コロナ治療で危険を顧みず働く医療関係者、派遣で儲ける政府系企業パソナ、女優を連れて宇宙に行く経営者。

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もう資本主義は正義なのかと問われる世の中なのである。日本の金持ちはケチで人に寄付をしない。松下幸之助は、寄付をたくさんしたが、それは人が好きだったからである。今の金持ちは金が好きなのである。

 

ハーバードのマイケル・サンデルも、ボンのマルクスガブリエルも、市大の斉藤幸平も、次の時代は、コロナ前のシステムは通用しないと述べている。もう、インチキは許さない。

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さて、総選挙があれば必ず親戚近所を誘って行こう。もう、金持ちだけが儲かる世の中をこれ以上続けてはいけない。

 

選挙に行こう。与党と維新には入れてはいけない。

 

えこひいきは教員採用から始まっている

近所に2人の青年がいる。

2人とも教員で、あまり歳も変わらない。

よく知っている子であるが、あれっと思う話を聞いた。

 

それは、2人とも教師であるのに、働く立場が違うということだ。立場と言えばたいそうだが、早い話、正規職員が、非正規職員かということである。聞いてみると、教員採用試験に合格すると正規で、合格しないと臨時なのだそうだ。

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ここで、どうして非正規雇用で働くのかという疑問が湧くが、産休や育休で休む教師や、精神的な病で休む教師など、店員の穴埋めに、裏付けという言葉で採用されているのである。また、そういう立場で、安い給料で働くと市としても経費節約になる。

 

ここで、当たり前に大人の話として、それなら、非正規で働いている方は、正規で働いている方よりなんだかの能力が足らなかったということなのであろうかという疑問が生じる。早い話、一般的に考えて、正義採用は、実力があるということなのだ。

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実力があるというのは、教師の場合、学力であり指導力であり協調性であろうが、やはり、賢い人であって欲しい。

 

ところが、私の近所の事案では、正規の教員はいわばF大学であり、小中高と勉強ではダメダメな子どもであった。しかし、やたらと偉そうにし、自信家であった。なぜなら、少しばかり体育が得意だったからだ。理由はもう一つある。

非正規の教員は、国立の教員養成大であり、小中高とそこそこ賢いという評判であった。神戸の場合、出身高校で、大体の学力はわかる。

それで言えば、2対9ぐらいの格差がある。当然非正規の教員の方が採用されるべきだと思うがそうはなっていない。

では、性格的なものかと言えば、これも非正規の方が評判はものすごくいい。躾は行き届き、町内の清掃にも出てくる。偉そうにもしない。

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そこでやはりそうかと、町内で噂になっているのは、正規の教員の父親は、学校の教師で校長をしているということである。私が何を言おうとしているのかわかるであろう。

聞くところによると、教員採用試験は、論文や面接、馬鹿なことに模擬授業と、判定に主観の入るものがたくさんある。親が校長をしているということで、不正が働いていたと見るのが当然であり、町内会の決定事項である。

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こうして教員は採用されていく。悪貨が良貨を駆逐していくのである。覚えているだろうか、小学校での教師のいじめ事件。あれで、学校の不正が暴かれると思ったのであるが、何も変わらなかったという。各学校には緘口令がひかれ、記者に本当のことを話してはいけないと圧力をかけ、今までにパワハラや不正はなかったかと踏み絵をし、教育委員会の不正を隠蔽したのである。

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不倫をしていても教育次長にもなれ、F大学でも課長になる町なのである。

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おでん仲間に聞くと、同様の不正は管理職試験でもたくさんあり、現場で嫌われていても、体育の教員ならバカでも教頭になれるらしい。みんな、この町はそんな調子なのだ。市長がインテリなのに、未だに江戸時代という付け届け、賄賂、忖度の教育委員会なのである。

 

これでは、学校改革はできない。子どもを持つ人は、考えものである。体育ばかりやらされ、頭が変になってしまうこと、限りがない。

また、教員が足らないと言われているのに、なかなか、正規採用しないのは、道理に反するのである。

市長を変えないと変わらないか?

教育学者や哲学者がいない嘘

いよいよ新学期がはじまる。

コロナ禍で、おそらく学校で感染が心配される。

テレビでは、教育のことは素人の経済学者や医学者が、学校を止めたら、学力が落ちると言っている。

おそらく自分が、学校に通った感覚で、教育の価値を話しているのだろうが、それなら、医者にかかった経験があれば、医学のことがわかるのであろうか。

こういうレベルでいるのが、国会議員である。公教育を受けたこともない総理大臣は、日教組憎しで教育基本法を改竄した。

 

学校は教科ごとに年間授業時数が定められている。これも、以前は標準として大方のめやすであったのだが、授業時数が少なくなると学力が下がるという、おまじないみたいな理由で、今では厳格に守るようになり、何も疑わない教育委員会は、時間数だけうるさいのである。

 

なんでもそうであるが、量より質である。

どうして一年生の国語が306時間なのか、説明できる人はいない。詰め込み教育で一時時数が減った6年生は、1015時間も学習する。先進国では1番多い。いや、もう日本はアジア最貧国に転落しているので、G7は、シンガポールか、韓国が、代わりに入るかもしれない。

 

6年の国語の教科書は、5時間で学習できる内容も、8時間で学習する。全くの素人ならそのぐらいかかるかもしれないが、免許状がある専門家が授業しているのである。

始業式が、1週間2週間遅れただけで、騒ぎ立てるな。

それより、経済学者は、どうしてアベノミクスを長々とやってしまったのか、医学者は、どうして国民に行動仕様を提示するばかりで、医師の数を増やす努力をしてこなかったのか、自問自答すべきである。

とにかく、授業時数は、なんの根拠もなく、学力との因果関係はない。

 

24時間テレビより本物はすごい

オリンピックの開会式は見なかったけれど、昨日のパラリンピックの開会式は見た。

というか、いつも夏休みに、純な子どもからお小遣いを巻き上げていく、偽善チャリティー番組の、汚れを洗浄するために、見た。

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よかった。

この何十年か、障がいをもつ人の露出が増えた。自ら進んで障がいの名を伝える人も出てきた。障がいは、恥ずかしいことではない。

個性なのだ。

人はこうあらねばならないというものはない。

 

昔、神戸市の教員は、体育の教師が、「健全な精神は健全な体に宿る」とばかり言っていた。中学生だった私は、すでに人の多様性に気づいていたので、その乱暴な言い回しと、いかにもそれしかないとわかる了見の狭さに辟易としてしまったことを覚えている。

聞くところによると、今も神戸市は体育至上主義で、教員採用試験でもスポーツ歴が尊重されたり、体育会系が力を占めていたりすると言う。教養や性格でなく、バレーボールの選手であったとか、陸上の選手だったとか、そんなことで採用しているのだ。それだけでなく、インチキな管理職試験も、体育優先なのである。論文試験という点数の出どころがわからない、大学入試でもまだ採用を見合わせている主観的な気持ちが介入する極めて不透明な方法でやっている。体育のボスは、教育長より顔を利かせているらしい。教育がこんなものだから、神戸市の未来は暗い。

 

さて、ペコパのように話を戻そう。

芸能人がたくさん出て、出演料をもらい、優しさを振りまくという、偽善にみちた、チャリティ番組より、パラリンピックの開会式は素晴らしかった。

 

長い挨拶さえなければ。

 

天皇陛下も優しい目で歓迎の手拍子をしてくださっていた。天皇陛下の教養が滲み出た振る舞いは好きだ。ところが、隣でいた首相と都知事の目は虚だった。それこそ、24時間テレビの目であった。

 

聞けば、プロデュースは、子どもの知り合いの演出家だという。統一感があってわかりやすかったと自分のことのように喜んでいた。

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これから、熱戦を期待したい。どんな支援をしているのかも、見ながら勉強していきたい。