docomoカードで盗まれた
以前にも、何も輸入していないのに、オリコカードで不正流用があり、50万円ほど引き落とされた。この時は、オリコの担当者の手配や判断の良さはとても頼もしかった。ずっとショックだったでしょう。私どもの不注意でご迷惑をかけましたという言葉があった。
携帯の買い替えで、ドコモショップにでかけ、いつものように沢山のサービスアイテムをつけられ、家族割と称して、随分の高額になったものの、その支払いが楽になるからと、docomoカードの利用を勧められた。
一昨日、不正使用が見つかった。
この5ヶ月にわたり、東京ディズニーシーの入場券の通販に使われていたのである。
29500円を8回。31300円が2回。24800円が4回。16400円であった。
これが5ヶ月にわたって請求されていたのだ。
オリコは、紙ベースの利用記録なので毎月のチェックは、きちんとできていたが、それでも、少額の不正が長年紛れ込んでいて、気付くのが遅れたのだ。しかし、手元に記録が来ているのにもかかわらず、オペレーターは、低姿勢で、気の毒がってくれた。
にも関わらず、docomoは、紙ベースの記録は届かない。確かめるにもホームページは複雑でわかりにくい。
そういうことで誤魔化しているのだろう。
90日以前の不正請求はお客様の責任にてお願いしていますということである。お気の毒にの前に、そんな言葉が出た。いや後にも先にもお気の毒はなかった。被害者なのに、まあ仕方ないやん、三分の一だけでも帰ってきたらいいやん。何か文句あるのかという態度である。
docomoは、NTT、電電公社からの体質は抜けていない。PHSやISDNなど、新技術が導入された時は恐ろしいほどの金額や工事費を取り、他社が追いつくと無料にするというお得意様を蔑ろにするインチキな商法を平気でやってきた。故障携帯の保障にも邪魔くさそうに応じるし、本当にサービスが悪い。
うちは、今回のことで、携帯もカードも変えることにした。自助を強いられ、まるで政権と同じ姿で接してくる圧力は、もうお客さんになってはいけない。
ワイドショーを見てたら15分でアホになった
神戸市で教員をしていた友達が仕事を辞めて、もう10年になる。とても賢い人であったが、体育畑のヤクザみたいなパワハラ校長が嫌で辞めた。神戸市は、伝統的に、教員に上意下達を強いており、女性の多い職場、小中学校では、圧力をかけるために、言葉遣いの悪い体育の教師を校長にしている。
とにかく、うるさいババア黙っとけということなのである。
神戸市は、あちらこちらから明治以降人々が港の仕事やそれに付随するおこぼれを頂戴するために集まった人たちであるから、よく民主主義が発達し、古くからの風習や習慣がないからだと言われている。実際に大学の政治学で、神戸市は個々に自立した市民であり、選挙も組織ではなく、個々の意思で公正に行われるという旨の講義があった。また、司馬遼太郎も、神戸は高度な市民社会であると規定している。
それは嘘である。
役所には、身分差別があり、役職に世襲制もある。自民も自治会や婦人会を通して保守勢力の温存を図っている。
教員の世界でも世襲があり、校長の子どもは、バカでも教員採用試験に堂々と合格する。たとえ、F大学出身者であっても教員免許が2種であってもである。
これは管理職試験も同じで、体育部に属していたらどんなバカでも教頭になれる。なぜなら、ドアホの教育委員会が、F大学のレベルで考えた、伝達するべきアホな決まりを、国立大学を出たベテラン教員に伝えるには、大日本帝国陸軍の統率の取れた指揮系統が必要なためだ。歯を食いしばれ、というあれだ。彼らは、親分子分の、神戸市お得意の反社精神を巧みに受け継ぎ、絶対服従であまり賢くない脳みそを使うことなく、命令に服従するのである。だから、どの学校も同じことをしているのだ。数年前の教員いじめ事件など、どの学校にも似たことがあると、おでん仲間の教員の友だちが教えてくれた。
そういえば、わたしが子どもの時は、そんな教師が偉そうにしていたが、子どもに聞くと今も変わらないという。
そんなわたしが、マルクスガブリエルや、マイケル・サンデルの本を読み、出口治明や斉藤幸平の日本の未来を聞くと、神戸の将来は凄まじく暗い。
子どもは、神戸市内ではなく明石や西宮に通わせたい。でも、今はコロナでそれはできないが。
テコパのように、話を元に戻そう。
教員をしていた友達が、今更言うのである。
1週間ワイドショーを見ていると、もう頭が変になり、考える力が半減し、世の中はどうでも良くなるらしい。
友達は、世襲でも賄賂でもなく教採を受かった人なので、国立大学の教養と、教員としてのクリティカルシンキングを鍛えているので、かなり賢いのではあるが、そんな人でも堕落するらしい。
昼のワイドショーを見ていたら、自民党の総裁選挙の候補者が出てきて、長々と持論を展開していた。見ているわたしには、投票権はない。それなのに、どうせ金持ち政策なのに、聞かされないといけないのか。またまた、アホノミクスをするのか、このインチキ隠蔽野郎。
もう15分、調子のいい金持ちの話を聞き、出来もしないコロナ対策を説明されて、嫌になってYouTubeの英語番組に切り替えた。
失敗を認めない情けない国である。
閣議で歴史を変える国
なんでも教科書に書いたら、教員はそのまま教えるのだと、国会議員はおもっている。
慰安婦の問題も掲載しないと決めた。
教育の中に、どんどん一方的な国粋主義が入り込んできている。社会も何を疑うもなく、教育で教えたらいいと、甘く許している。
本来教育は社会的な事象や、科学的な事象を、帰納的に子供達にその意味を考えさせないといけない。はっきりしていない国境問題など、教科書に書かれても、子供は考えられないし、自分なりの答えに行きつかない。それなのに、子供にその概念を押し付けようと、政府は教科書にやっきになる。戦前の国定教科書と同じであり、戦前のムードが漂ってきている。
慰安婦の問題も、新聞記事の改竄があったのなら、それが国辱に至った事実や、相手方の勝手な言い分、世界情勢など、ファクトを出し切り考えさせることが必要だ。しかし、この慰安婦の問題は、はなはだ学校では扱えない問題だし、高校でも難しい話である。
未だアベノミクス継承だとほざいている総裁候補もいる中、岸田さんが、新自由主義から逸脱をする旨を公約したのは立派だ。小さな政府、一部の人のための政府、自助ばかり唱える政府は、コロナ後の社会には必要ない。
税金払え!
大金持ちからきちんと税金を取り、アマゾンにも、日本で販売した価値について税金を納めるように法改正をすべきであり、そうしないなら、アマゾンやGoogleなど、利用しないで生活していけば良い。わたしは、街の本屋で専門書や新書を買うし、ないときには、取り寄せしてもらっている。
くれぐれも、最右翼の女性が総裁にならないように。また、インチキな森友、加計学園問題やお花見集団賄賂事件など、真相究明をするようにしないと、もう若者は、放っとけないのだ。
新しい何かが動き出す
今日9月8日は誕生日だ。
子どもからは、ブタのTシャツと買い物袋をプレゼントされた。
うれしいような、当たり前のような。
また、新たな時代に挑戦する。
という1日になる。
8時45分から、立憲、共産、社民、れいわの衆議院議員選挙の選挙協力が結ばれた。
もう、30年もの間、新自由主義が日本を席巻し、金持ちだけ潤った時を過ごしてきた。
野党の中でも、日本民主は、自民党との協力、維新はもともと野党ではなく、安倍の親衛隊。そういう役回りで国民の批判を交わす、木星のような立ち回りをしてきたのだから、国民の敵である。
この市民連合を馬鹿にする人もいる。何もできないとか、なれないくせにとかいうが、今しかできないこと、このまま何もしないでいると失われること、たくさんあるではないか。
自民党の政権が存続するために、私たちは生きているのではない。生まれてきたのは、貧しく生きるためではない。
人のために尽くすことは尊いはずなのに、人を騙すことが尊ばれ、裏切ることに罪はない。おかしなことばかりなのに、金持ちや芸人ばかり尊ばれるのに怒りはないのか。
不勉強でいいのか。
もう一度考えてみよう。
今日はそういう記念日である。
騙されてはいけない
ついに、自民党は最後の賭けに出た。支持率が低下したために、今度こそ国民のためにとかなんとか言って、今よりマシな党首を選ぼうというのである。
人気回復の手法として、選考過程を長々とマスコミに取材させ、特にフジと讀賣には、特別番組を作らせ、さももうすぐ新しい幸せな社会が来ると思わせる演出をする。
これを、巷ではプロパガンダという。
しかし、国民が等しく富を得るようになれば、金持ちも自分たちが搾取されるために、なんとかこのまま、自民のえこひいき型の政治を続けてほしいのである。
今回の立候補者には、岸田、河野、高市、石破の、4名が名乗りを上げている。結論からすると誰がなっても利益分配型の政治、隠匿、隠蔽、改竄、破棄、国民はカスは同じだが、そのうち岸田は1番まともというか、安倍が現れるまでの古き自民の匂いを、党内にもたらすであろう。派閥が意見を出し合って、少しだけ自浄能力が回復する。かもしれない。
役員だけでなく、議員も回数制限と世襲の禁止を
河野は、1番理知的であり、遊んでばかりの安部とは違い英語もできるが、頑固でナルシストである。国会議員が国民と乖離している別世界に生きていると言われるが、まさに彼こそ、訳がわからない。少なくとも、庶民感覚はない。
複雑、世襲議員。父親は立派なのに
高市は、どうしようもない。男の言いなりになる女である。1番女性として嫌われるチヤホヤされる生き方を選んだ。右翼思想の持ち主。日本会議所属。働かない国民なんか、いなくなればいいと発言なさっている。奈良県民なんとかせい。
国民なんてカスなのよ。あなた方と違うのです
石破は、面白い。4人の中で、まだ庶民の辛さがわかる人である。しかし、自分勝手、他力本願、企業の味方の自民党議員からすると、金にならんコトばかり言いやがってと、反発を喰っている。何しろ自民党は、つけとどけ、口利き、賄賂、えこひいき、選民、上級国民の政党である。石破のように、本当のことや隠していることや正義のことを、口にしても思ってもいけないのである。
人情家である。1番話せるかも。
わたしは、自民党員ではないが、両親は経営者として関わっているので、このぐらいの裏読みは教えてもらっている。
騙されてはいけない。
これは自民党員の争いである。見ない方がいい。洗脳されてしまう。
それより総選挙で。今までのコロナの恨みや、税金を富裕層にばら撒いた怒りを、自民ではない政党の候補者に投票するのである。これだけで日本は変わる。失敗したって、金持ちしか良くならない今よりマシ。大丈夫だ。
立憲も党首を若返りさせ、幹事長もみんな、若い議員にすべきである。今さら国賊菅直人など立候補させてはならない。
選挙に出るな、
続お弁当物語2
お弁当を紹介するこのシリーズは、思い出したように始まったが、この「続」という言葉は、果たして適当であったかと今更悩んでいる。
それはそれは、朝早く起きて台所で七転八倒しながら、猫の必死のおねだりを邪険にしながら、さらに、三口のガスコンロとお洒落なガスグリルと名を変えた魚焼き器を、タイマーや焼き方調整を駆使しながら、短い時間の闘いの成果を記録し、流布したいからである。
しかし、コロナの感染流行で、家庭にいることが増え、弁当箱で昼を食べる機会が減った。しかし、この数週間、お弁当作りをするので、またまた、紹介しようと企んだのである。
「続」とつけてしまったが、ウルトラマンのように「帰ってきたお弁当物語」の方がロマンチックではないかと、迷っているのだ。「続」というより「帰ってきた」は、しばらくそこにいなかったという休憩休息時間があったという時間的空間が醸し出される。
つまり、幅が出る、勿体ぶることができるというメリットがある。でもお弁当作りが、何か世界平和に役立つわけでもなく、怪獣をやっつけるほどのエネルギーも、費用も使わないのであるから、「続」でも、「再」でも、「また」でもいいのである。
今日は第2弾であるが、実は、写真に撮るのを忘れてしまった弁当がある。2つも。
そういえば、近くのスーパーに自転車に乗って行ったのを忘れるぐらいであるから、もうずいぶん脳みその細胞もニューロンも、退化してきたのではないかと心配している。
冷蔵庫に豆腐が2丁、卵が3パックある。キクラゲなんぞ、5袋もためてしまっている。
【お弁当】
18穀米のご飯
いりごま
大根の漬物
豚ミンチと玉ねぎ入り玉子焼
紫蘇とチーズの竹輪巻き
牛バラの漫画肉🍖焼き
レタス
高野豆腐の卵とじ
まんが肉の🍖、骨は牛蒡で作り、牛蒡に焼肉のタレで味付けしたバラ肉を巻き付け、ホイルに巻いて蒸し焼きにしたものである。