アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

ロシア抗議デモに参加したい

デモがしたくてたまらない。

 

腹が立ってたまらない。

日本政府は、ロシアの侵略と決めつけたが、こんな小国の決定など、ロシアにとっては痛くも痒くもないだろう。

ロシアは、嘘をつきまくり首都を陥落させるつもりだ。

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わたしたちには、007は、いない。

アメリカは、まだ経済制裁という、資本主義側の安直な嫌がらせをしている。独裁国家には、即効性はない。

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わたしたちには、007は、いない。

ロシアが世界の嫌われ者であるということと、わたしたちは、怒っているという気持ちを表さないと、犬や猫と同じである。

 

フランスでは、デモは自由にできるが、日本はできなくされてしまった。

なんとかならないか。

 

わたしたちには、007は、いない。

大人が何もしないで、お笑い芸人がコメンテーターをしている馬鹿なニュース番組を見ているだけなんて、教育上好ましくないだろう。

 

だいたい、プーチンのことをウラジミールなんて恥ずかしくも呼んでいた、元首相は何を感じているのだ。

 

今一度、日本で経験した戦争や震災や災害の惨禍を思い出そう。三木谷さんは、早速ウクライナに寄付をした。

人種差別のオリンピック

高梨紗奈さんが失格になった。

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奇妙な審査をしたポーランドの審判員の名前もつきとめられ、その悪の所業が次第に明らかになりつつある。

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なんと嫉妬に狂ったからだと言われている。インタビューでも、してやったりの不審だらけのやりとりが明らかになった。

 

しかし、オリンピックの基本の常識として、競技そのものは、ヨーロッパ貴族の余興であって、白人至上主義の理念がその根底にあるのである。つまり、白人だけの大会であり、神戸にある、神戸リガッタ・アンド・アスレチック倶楽部みたいなものだ。中国の人権侵害は行き過ぎだが、おなじようなことは、ヨーロッパにも根強くある。なかなか、日本人はノーベル賞をもらえない。嫉妬に燃えた森鴎外の悪口妨害があったとはいえ、北里柴三郎も、志賀潔も、もらえなかった。シュバイツァーは受賞したのに野口英世も、もらえなかった。

フランスやイギリスにもアフリカの人がいるが、もう大変なひどい差別を受けているのだ。このあたり、中国が言う民族としての人権に対する言いがかりは、ヨーロッパやアメリカの方が数倍ひどいと言うことを知る必要がある。

早い話、かれらは、日本人など猿だと思っているのだ。

だから、ヨーロッパでも途上国のポーランドにしても、有色人種が、冬のオリンピックでメダルを狙うなんて、許されないことなのである。だから、どうしても、メダルは取らせないと、白色人種の血が騒いだのであろう。

戦前からのポーランドとの友好関係も、もうこれで御和算になった。

この審判員は、ずいぶんひどいことをしているようなので、次第に不正は明らかになるだろうが、日本選手団からは、きちんと抗議すべきである。いつものように、役員がニコニコ馬鹿面をするのではなく、積極的に抗議すべきだ。時には、怖い顔をするのも役員の値打ちなのである。今回は、黙って帰国するなど許さない。

ただで美味しいものを食べて、白人にぺこぺこ頭を下げているだけでは、明治時代の日本人である。白洲次郎の言う、プリンシプルのない日本人は、役員とて海外に出すべきではないのだ。

熊本産のアサリは中国産泥アサリ

貧乏国なのに、まだまだ先進国の一員としてなんとかぶら下がっている日本では、技術の進歩で世の中に知られるようになって来た事は多い。

しかし、逆にまるで中国のように幼稚で安直でわかりすぎるようなインチキが罷り通ることも多い。

以前、シジミを取り上げたが、しじみの生産量からしても、一杯シジミ20個分のオルニチンと宣伝をしたり、シジミ200個を煮出したと工程まで示したりして、疲れを飛ばすサプリメントととして使われているとされている。しかし、到底そういう使われ方をするのに、生産量の少ない本物のシジミ由来でできるはずもない。

ついこの前まで、シジミ北朝鮮産だと言われていた。それがいつのまにか、中国産になり、一瞬にして国産になってしまった。

そのことを大手スーパーで目の当たりにしたので、貝類に産地偽造が始まったのはわかっていた。産地を明らかにするスーパーでも、もともとの産地偽装には太刀打ちできないが、でも、生産量や漁獲量からして、そんなにここまでやってくるわけはないと考えるのが当たり前だ。

本当に、スーパーの偉いさんは大学を出ているのだろうかと、子どもも怒っている。昔は、大学=勉強が成り立ってもいないこともないが、今ほど訳の分からない推薦が横行し、女子学生が差別されている状況では、大学そのものの存在感は薄く、しかも、もともとバイトや遊びに興じて賢くないだろうがというところではある。

 

さて、アサリである。小学生の頃からも、近くの海岸の砂浜には、アサリなんてものはいなかった。砂浜にいたのは、空き瓶と海藻とプラスチックのゴミであった。潮干狩りという海岸でする遊びもあったが、工場のない数少ない砂浜まで、電車で出かけなければならなかった。しかも、そこでは、朝、潮干狩り客が来るまでにアサリを浜にばら撒いていると言われていた。

 

今アサリの全国の生産量は、2019年の統計で7976トン。1位が愛知県の3880トン。48.6%を占めている。大アサリが有名で、トップを占めているのは、よくわかる。ことあと、福岡県、北海道と続く。この3道県でほぼ80%を占めているのである。

ちなみに、アサリの輸入量は、膨大だが、どういうわけか明らかにしていない。ひょっとすると、官民で国民を騙しているのではないかと思うのである。

問題の熊本県は、339tで4.3%、全国5位である。

 

一位の愛知県産のアサリにも出会わないのに、スーパーに行けば熊本県産がごろごろしている。スーパーにしては、熊本県から仕入れたからだという理屈であるが、普通うちのような大スーパーにこんなにくるはずはないだろうと、担当者は分かるはずである。

しかも、必ず貝なのにいくつか足で踏んだように殻が潰れている。明らかに機械か何かで乱暴に扱ったからであろうと素人でもわかる。そんなの、パック詰の時に入れてはいけないのではないかと腹が立ってくる。

これは、農林水産省、輸入担当商社、流通業者、スーパー担当者と、みんなが結託した詐欺である。

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中国では、アサリは泥アサリと呼ばれ、海洋汚染の賜物のものを、熊本の遠浅の浜に撒いて、数日後に、収穫しているのだ。汚染物質は、そのぐらいで除去できない。半分以上蓄養していないとその産地は名乗れないはずなのに、数日で熊本産になる。

 

熊本県チッソの公害で、大変な人権侵害を巻き起こした県である。もう一度、熊本を追求したい。こんなことをしていたら、震災で応援してくれた人たちに申し訳ないと思わないのか。

違法なのだから、熊本県はすぐに回収してほしい。スーパーも偽装販売をやめてほしい。うなぎ同様、中国産は怖いし健康被害が必ず出てくるはずだ。

 

介助犬を触って来た

YouTubeで、NHKの『さよならレザン』を見た。随分前に放送されていた、人間ドキュメントのシリーズの一つで、盲目のオペラ歌手と、10年弱を共に過ごした盲導犬との別れを取材した作品だ。放送された時、家族みんなで泣いた。学校で教材として取り上げられることも多く、大反響を呼んだ作品であった。

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よく、盲導犬についての理解が低いと言われる日本ではあるが、実際その実態はわからないことが多い。

子犬の時に育てる人、盲導犬として活躍できなくなった時に最期まで面倒を見る人、というように、役割があるようだが、一番教育にお金がかかるのである。盲導犬は決して吠えてはいけない。そして電車に乗った時には、主人の足元にしっかりと座り、これも決して動いてはいけないのだ。こう言う盲導犬の頑張りが紹介されていくうちに自然と涙が込み上げてくる作品なのだ。

NHKは、なかなか良い作品を放送しながら、アーカイブでの再放送を渋る傾向にある。あんないい作品が溢れている人間ドキュメントは、大河ドラマ以上に繰り返し放送すべきだ。

 

今日元町の大丸前で介助犬に出会った。2頭の介助犬と、介助犬協会の人が3人、お手伝いらしき若者が1人。

毛布みたいなものを敷いて、介助犬育成の募金を呼びかけていた。

寒い中でと思っていると、ベージュ色のロングコートがすごく似合うマダムが、長財布を取り出し、さっと千円札を募金した。あっという間にその人は立ち去った。スマートさにびっくりした以上に、介助犬のことを考えてくれる人がいるということが嬉しかった。続けて、小学生が小銭を募金した。手を消毒して介助犬を触らせてもらっていた。

次にようやくわたしの番になった。

うちでは、街頭募金は、お札を渡すように子どもにも話をし、実際にそのようにして来た。今回も、前例の貴婦人に習って、千円札を入れた。すると、五千円札も混じっているではないか。理解者がいることが嬉しかったし、たくさんの募金があったのも嬉しかった。

手にアルコールを開けてもらい、介助犬を触らせてもらった。

おとなしい。

触っているうちに涙が出た。

なぜかよくわからない。なにか、感動するものがあった。ごちゃ混ぜになった自分の気持ちが、一気に溢れて来た。

長浜に行って来ました

長浜といえば、あの秀吉が城をもらった街。

安土城と共に、湖に佇む写真を見て、いつかは行きたいと思っていた。

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後1回分、青春18切符が残っていたので、ぜひ北陸へと敦賀を目指したが、JRの思惑か、わざと塩津から北へは行きにくくしているのである。せっかく鉄道が走っていても、県境や会社の影響力で、連絡が悪い。県境の困難さは、テレビでよく放送される路線バスの乗り継ぎ旅で毎回問題になるところであるが、鉄道の場合、県の影響力の及ぶ範囲とJRの各会社の影響力があるところとが、一致する場合と違う場合がある。それは、鉄道網の形成過程にもよるものであろう。ほとんどの鉄道が、その施設時には私鉄であったからである。それぞれの地方で、資産家がその実情に応じて施設したものであるから、地方の都合がある。

しかし、会社組織にすると過疎の地域や、産業構造の現状に応じて、利用客の少ないところは切り捨てる。いままで、私たちの先輩が税金として納めて来た鉄道を、株式会社として儲け本意で評価し、廃線や駅の撤廃を決めているのである。鉄道財産は、国民のものなのだ。

 

関西なら、姫路〜岡山、近江塩津敦賀天王寺〜和歌山など、ずっと不便であり続けるところ、さらに不便になるところが増え続けている。都市間輸送で儲けた利益を自分たちの給料に反映させることはしっかりやるが、鉄道の保線や車両の更新には金を出さないというダメダメなやり方をJR各社は続けている。

実際、東京〜大阪のリニア新幹線にも、税金が導入されている。JR北海道に支援の手を伸ばさないJR東海にどうして支援するのか。

それなのに、JR各社の管理者は、ものすごい給料を摂っているのだ。

 

さて、長浜である。

駅は綺麗だが、トイレは1世代前の単なる水洗。手洗いには消毒の洗剤もない。典型的なほって置かれた駅舎である。

 

早速観光地図を取って、街歩きに出かけた。遠くに見える伊吹山がすごい。

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観光客が多いと思っていたが、昼食の時間であったのでそのところはわからなかった。

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地図が曖昧で、建物を照査に書き込んでいないので、初めはどこを歩いているのかわからなかったが、住民に聞きながら、案外小さな町であること、一町ごとの区割りで、駅の東でいうと東西5百メートルもないこと、堀も2メートルほどの広さであることなどわかって来た。

この広さなら子どもでも大丈夫。

そういえば、昼食を終えた子連れの観光客で北国街道は賑やかであった。

 

出遅れてしまったが、小1時間、地図上のイラストの場所を尋ねた。まるで、昭和初期の雰囲気であるが、さほど古さは感じない。どうしてだろう。しっかり、自転車屋さんも、古さを守り建前を工夫しているのに、観光という立場性が生きすぎているようにも思える。

地方の観光地であるような、しょうもないものを売りつける商法はないし、住民もとても柔和である。それだからこそ、街中にガイドを置いて欲しい。街案内のボランティアがいれば、もっと魅力的な街になるであろう。

お土産に赤い蒟蒻を買った。

大通寺も拝観した。

 

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帰りの新快速は、満席だった。

2時間1980円で飲み放題ができる長浜浪漫ビールのレストランに、行ってみたかった。【後悔】

 

和歌山市民図書館は最高だ

冬の青春18切符が、10日までということで、あと1つを残しながら、和歌山へと出かけた。

大阪駅で、環状線から阪和線へと乗り入れる、紀州路快速に乗り込む。これは4両編成で、前に関空快速という同じ4両編成の車両が連結されている。

この8両編成が、環状線の外回りを走り、天王寺駅から阪和線へと、なだれ込む。ここまではかっこいい。

昔は、環状線に乗り換えて、天王寺駅から阪和線へと乗り換えたのだ。比べるとものすごく便利になったものだが、一つだけだが、困ったことがある。

 

快速と言いながら、全然快速らしくない。停車駅が多すぎる。

昔は停車駅といえば『鳳』ぐらいのもので、戦前日本一の平均スピードを誇った阪和線は、関空ができるまでは、天王寺〜和歌山も、1時間もかからなかった。

今は、関空快速との切り離しの日根野駅まで、やたら停車をし、大したスピードも出してはいない。

もっといけないのは、その後の日根野〜和歌山は、各駅停車なのである。天王寺からは、1時間半はかかる。とても不便だし、快速の名に恥じる行為である。

しかし、18切符なので仕方がない。

 

もう飽き飽きした頃、和歌山に着き、ぶつくさ言いながら、今はすっかり寂れてしまったぶらくり丁を訪ね、市駅へと歩いた。この市駅というのは、和歌山市駅という名で、南海電鉄のターミナルである。

 

ぶらくり丁には、川のすぐ横に、ひと昔のカラオケスナックでのおじさんの十八番、『和歌山ブルース』の記念碑が建てられていた。

ボタンスイッチのような窪みに指を近づけると、いきなりあのサックスの前奏が始まり、その場にいるのが少し恥ずかしく感じるぐらいのでっかい音量で、琴清乃さんの歌が流れた。こんなはずではないとうろたえているわたしのそばを、今やどこにでもいる東南アジアの人たちが何事だというようにチラ見しながら橋を渡っていく。

 

昔は賑わっていた和歌山一の繁華街の衰退を目の当たりにして、大学が市街地からなくなってしまい学生が市内にいないことや、新しい基盤産業の立地に失敗したことなど、行政や大学の無策を感じ、無性に腹が立った。

御三家の和歌山城は、コンクリート生や紛い物だし、本物として立て直す資金など、もはや35万都市となってしまった。また、JR和歌山駅の駅前や隣接する近鉄百貨店の閑散とした様子に、和歌山市が、残念なものに思えた。

大学に伝統的な経済学部があっても、時代の先端で観光学部ができても、その土地の問題に貢献できないようでは何にもならない。研究機関としての役割は、国立大学とはいえ、英才の少ない和歌山大学には荷が重いのであろう。

そのへん、近畿大学は、和歌山の水産資源に目着目し、マグロやクエなど、養殖の研究を続けて来た。和歌山大学は、近大に学ぶところがたくさんあるはずだ。

 

和歌山市に着いたものの、どんどん寂れゆく限界集落を見るようで、悲しみが湧いて来ていたが、南海の和歌山市駅に到着して、その考えは一蹴された。

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ホテルと駅舎とレストラン街となんと和歌山市民図書館が併設されている。

駅自体はもう目も当てられないほど、ダメダメなのだが、施設はばっちりであるのだ。

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レストラン街は、店は多くはないが、なんでもたべられる。

とんかつ、海鮮丼、中華料理、イタリア料理、蕎麦日本料理、海鮮居酒屋など。極め付けは、酒蔵が利き酒の店を出している。併設されているホテルに泊まっていれば、ぜひ寄りたい店である。

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レストラン街は主に2階にあるが、この2階の東側には、和歌山市民図書館がある。

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1階から始まっているのであるが、そこは、本屋さんと喫茶室。オープンな空間なので、禁止ごとはあまりない。

2階からは、書架や自習室、閲覧室がまたまた、間接照明で、落ち着いた環境を醸し出している。

テラスで読書ができたり、楽しい子どもコーナーがあったり、図書館なのに福袋があったり、弁当が食べられるもぐもぐコーナーがあったりと、至れり尽くせりの、非日常が展開されている。

2階と3階は、さきほどの間接照明のため、あのハリーポッターの魔法学校の雰囲気である。髭など伸ばしていけば、校長先生と間違えられるなもしれない。

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とにかく、日光がとりいれられる両側は、広い閲覧室にして、内側は日光に当たらないので、薄暗い書架にしているのである。

なかなかすごい。

こんな図書館があるのなら、和歌山の子どもの学力はたちまち上がっていくであろう。