和歌山市民図書館は最高だ
冬の青春18切符が、10日までということで、あと1つを残しながら、和歌山へと出かけた。
大阪駅で、環状線から阪和線へと乗り入れる、紀州路快速に乗り込む。これは4両編成で、前に関空快速という同じ4両編成の車両が連結されている。
この8両編成が、環状線の外回りを走り、天王寺駅から阪和線へと、なだれ込む。ここまではかっこいい。
昔は、環状線に乗り換えて、天王寺駅から阪和線へと乗り換えたのだ。比べるとものすごく便利になったものだが、一つだけだが、困ったことがある。
快速と言いながら、全然快速らしくない。停車駅が多すぎる。
昔は停車駅といえば『鳳』ぐらいのもので、戦前日本一の平均スピードを誇った阪和線は、関空ができるまでは、天王寺〜和歌山も、1時間もかからなかった。
今は、関空快速との切り離しの日根野駅まで、やたら停車をし、大したスピードも出してはいない。
もっといけないのは、その後の日根野〜和歌山は、各駅停車なのである。天王寺からは、1時間半はかかる。とても不便だし、快速の名に恥じる行為である。
しかし、18切符なので仕方がない。
もう飽き飽きした頃、和歌山に着き、ぶつくさ言いながら、今はすっかり寂れてしまったぶらくり丁を訪ね、市駅へと歩いた。この市駅というのは、和歌山市駅という名で、南海電鉄のターミナルである。
ぶらくり丁には、川のすぐ横に、ひと昔のカラオケスナックでのおじさんの十八番、『和歌山ブルース』の記念碑が建てられていた。
ボタンスイッチのような窪みに指を近づけると、いきなりあのサックスの前奏が始まり、その場にいるのが少し恥ずかしく感じるぐらいのでっかい音量で、琴清乃さんの歌が流れた。こんなはずではないとうろたえているわたしのそばを、今やどこにでもいる東南アジアの人たちが何事だというようにチラ見しながら橋を渡っていく。
昔は賑わっていた和歌山一の繁華街の衰退を目の当たりにして、大学が市街地からなくなってしまい学生が市内にいないことや、新しい基盤産業の立地に失敗したことなど、行政や大学の無策を感じ、無性に腹が立った。
御三家の和歌山城は、コンクリート生や紛い物だし、本物として立て直す資金など、もはや35万都市となってしまった。また、JR和歌山駅の駅前や隣接する近鉄百貨店の閑散とした様子に、和歌山市が、残念なものに思えた。
大学に伝統的な経済学部があっても、時代の先端で観光学部ができても、その土地の問題に貢献できないようでは何にもならない。研究機関としての役割は、国立大学とはいえ、英才の少ない和歌山大学には荷が重いのであろう。
そのへん、近畿大学は、和歌山の水産資源に目着目し、マグロやクエなど、養殖の研究を続けて来た。和歌山大学は、近大に学ぶところがたくさんあるはずだ。
和歌山市に着いたものの、どんどん寂れゆく限界集落を見るようで、悲しみが湧いて来ていたが、南海の和歌山市駅に到着して、その考えは一蹴された。
ホテルと駅舎とレストラン街となんと和歌山市民図書館が併設されている。
駅自体はもう目も当てられないほど、ダメダメなのだが、施設はばっちりであるのだ。
レストラン街は、店は多くはないが、なんでもたべられる。
とんかつ、海鮮丼、中華料理、イタリア料理、蕎麦日本料理、海鮮居酒屋など。極め付けは、酒蔵が利き酒の店を出している。併設されているホテルに泊まっていれば、ぜひ寄りたい店である。
レストラン街は主に2階にあるが、この2階の東側には、和歌山市民図書館がある。
1階から始まっているのであるが、そこは、本屋さんと喫茶室。オープンな空間なので、禁止ごとはあまりない。
2階からは、書架や自習室、閲覧室がまたまた、間接照明で、落ち着いた環境を醸し出している。
テラスで読書ができたり、楽しい子どもコーナーがあったり、図書館なのに福袋があったり、弁当が食べられるもぐもぐコーナーがあったりと、至れり尽くせりの、非日常が展開されている。
2階と3階は、さきほどの間接照明のため、あのハリーポッターの魔法学校の雰囲気である。髭など伸ばしていけば、校長先生と間違えられるなもしれない。
とにかく、日光がとりいれられる両側は、広い閲覧室にして、内側は日光に当たらないので、薄暗い書架にしているのである。
なかなかすごい。
こんな図書館があるのなら、和歌山の子どもの学力はたちまち上がっていくであろう。