チェコフィルの真髄
今日は、昼から大阪のザシンフォニーホールでチェコフィルのコンサートに行って来た。
大阪駅から福島までは歩いた。
今日で、チェコフィルは、3回目になる。1回目は、93年ドボルザークの新世界が聴きたいと思い、チケットを買った、ベートーベンの交響曲と小品の演奏だったと思う。ちょうどチェコは、スロバキアと分離独立した矢先で、祝賀ムード一色であった。
もともと新世界という曲は、ファンが多く、演奏会で演奏される交響曲のナンバーワンである。びっしり満員であった。
なんと、アンコールが5回もあり、終了が30分以上遅くなり、駐車場が大混雑をした事を覚えている。
今日の演目は、
ドボルザークの謝肉祭、ベートーベンのピアノ協奏曲「皇帝」、ドボルザークの「新世界」であった。
一曲目の、序曲「謝肉祭」は、有名な賑やかな軽快なリズムにはじまり、いよいよやりまっせ〜という感じの出だしである。びっくりしたのは、みんな楽しそうに演奏している。演奏の合間に隣同士微笑んだり、演奏の終えた人にうなづいたりしている。指揮者のペトル-アルトリヒテルも、ものすごく合図を送りコミュニケーションをとっていた。少々荒削りな演奏という印象を抱きがちなチェコフィルではあったが、実に繊細なハーモニーを醸し出していた。すごい。全くの別物。チェコの作曲家なら、まかせとけ〜というかんじである。
二曲目は、さらに、「うーむ、なかなかやるなあ」度が高くなって来た。ピアノの、アリス-紗良=オットも、実に大胆かつ繊細なタッチで、着実に演奏していく。楽団員の気持ちを読み取ろうと、指揮者顔負けの気配りをしていた。
第2楽章は、透明感があり、その透き通ったピアノの音が美しすぎて涙が出た。ずっと。
出光のCMに使われていた。
協奏曲ではあるが、チェコだけでなく、ドイツもできるのだと、改めて感心した。
ピアニストの、アンコールは、情感たっぷりの「エリーゼのため」にであった。
、
休憩は、ホットコーヒーとドーナツ🍩を食べた。しかし、トイレが少ないので、20分の間では、大混乱になってしまう。シンフォニーホールは、どうして、あの程度のトイレの数しか用意していないのであろうか。毎回、改善をお願いしているのだが。
後半、いや、終盤は「新世界」。
名演とはこういうものだろう。
指揮者も、楽しんでいる。楽団員も、自信たっぷり。有名な第2楽章は、イングリッシュホルンが奏でる旋律はもちろんのこと、中間部の切ないメロディがなんとも言えない。
アメリカに渡ったドボルザークが、インディアンのメロディをヒントに作ったという哀愁漂う曲である。アメリカの曲でも、新世界として故郷に送った思いを、チェコの人が受け取ることができたのである。
8年前に子どもと一緒にチェコを旅行したが、プラハは、スメタナとドボルザーク一色であった。実に綺麗な街で、素晴らしかった。チェスキークルムロフもよかったけれど、田園地帯もよかった。
ハンガリー🇭🇺やチェコ🇨🇿、オーストリア🇦🇹は、中央ヨーロッパで、なにか、芯がしっかりしている。
お馴染みの、第四楽章も、とても盛り上がった。弦の重低音が、すごく響き、ゾクゾクした。ブラボーの声があちこちから聞こえた。 むむむ、すばらしい。ますます磨きがかかっていた。
今日はよかった。
また、チェコフィルが来たら聞きに行こうと、誓った。
また、チェコも訪れたい。