英語教育の本質
Row, row, row your boat,
gently down the stream.
Merrily, merrily, merrily, merrily,
Life is but a dream.
朝から、どうしてか、この英語の歌が、口をついてでてくる。
どうしたのか、テレビの番組に使われていたのだろうか?
この曲には、思い出がある。
中学に入学し、両親はとにかく塾に行かそうと、躍起になっていた。当時の英語は、書くことや読むことに主流がおかれ、教科書を丸覚えしてさえいれば、成績は良かった。
自分自身、言葉なのに話せなくていいのかという疑問もあったが、学校では、社会科の先生が、英語も担当し、「デソイソ アッ ペン」という調子で教えていた。
教育熱心な母が、近所の人から、近くに中学の先生を退職された先生が、英語塾を開くらしいから行かないか?と、聞いてきた。よく聞くと、すごく評判のいい先生で、人気があったらしい。
英語だけか、と思ったが、母があまりにも凄い勢いで話をするので、圧倒され行くことにした。
場所は、小学校5年の時に学校間の喧嘩で、よく使っていた小高い丘の上の寺である。
先生は、やはり小柄のおじいちゃんだった。その頃はまだ、平均寿命も短く、お年寄りは今以上に、老けて見えていた。
授業は、本堂で、仏像が見えないようにして、始まった。生徒は10人ぐらい。
もちろん畳敷きなので、低い机に正座をして勉強した。何か、そろばん教室みたいで、それが英語なので、なんか違うなあと思いながらも、授業を受けた。
授業は、歌を歌ったり、簡単な英会話をしたりして、教科書そっちのけで進められた。先生は、受験英語一辺倒の英語教育に、嫌気がさしていたのだろう。今思えば、凄い先生に教わっていたのだ。
習い上手と言えば手前味噌であるが、わたしは、凄い先生に出会ってきている。
今だから気づく先生もいる。
絵画も、習字も、英語も、のちに出会う先生は、超一流であったのだろう。
担任の先生も、凄かった。
さて、夏は夏の話をし、そこでは、このボートの歌を歌った。ボートを漕ぐ動作をしながらみんなで歌い、最後はなんでも1人ずつ見せ合った。
先生は、決して怒らなかった。プリントをしても、手作りの匂いがした。
クリスマス会もあった。ケーキが出てくるかと思ったら、なんと、紅白饅頭であった。当時は、アンコが苦手であったので、悩んだが、とにかく、何か英語の簡単な劇をしたように覚えている。
先生の、奥様が、割烹着を着て、お茶をくださったり、何かを運んで来てくださったことも、昨日のように思い出す。友だちのお菓子が、1セット足りないと、走り回っていたことも、思い出す。
知識優先の受験英語全盛の時期に、丁寧に外国文化に触れさせてもらい、愛情を注いでもらい、いまでもとても感謝している。
さて、先ほどの歌であるが、歌詞の意味がようやくわかってきた。こういうのも、教育的効果なのだろう。大人になっても思い出させるって凄くない?