アヒージョ好きのビーバー

世の中の本質を、自分なりに考え、解説します。正義感が強く、偉そうなもの、金持ちには、牙を剥きます。

朝の車内から15 席を譲られるの巻

今朝は、朝から膝が痛んでいた。横になっていても、痛いのだから大変だ。起き上がる時、どちらの足から立てば痛くないのか、いろいろ考え、清水の舞台から飛び降りたつもりて、全体重を移動して行く。ブブー。アウチである。

今日は休もうかとも思ったが、何やら約束があったかもしれず、逃亡するようで、グズグズ行くのをためらいながらも、いつもの支度をした。

昨夜から足首が痛いとブツブツ言っていた母が、平気でご飯を食べているのを確認し、 夜中、母の湯たんぽ攻撃で、暑くて小屋の中にいられなくなったりょうも、無事小屋の中で寝ているのを確認しながら、痛い右足を引きずりながら、駅へと向かった。

 

朝から、道を聞く人がいたので、その案内をしていたら、いつも乗る電車を乗り過ごし、職場に5分前に到着する電車にかろうじて乗ることができた。

朝から、何度か行く手を阻まれてきていたので、もう休んじゃおっか、とも考えたが、なんとか持ちこたえた。あと一日我慢すれば良いのだ。そうだ、我慢だ。

こんな簡単なことを、オリンピックが連日、ドラマのように教えてくれている。

ハーフパイプの平野選手は審判の誤審に泣いたではないか、ノルディックの渡部は、何度も追い抜きに挑戦したではないか。わたしは、こんな体たらくでいいのか。とかなんとか考えながら、車両に乗り込んだ。

 

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「車内中程にお進みください」という、車掌のいつものアナウンスを聞きながら、その通りに進んで行くと、座席が空いていた。そばに立っていた男性に「どうぞ」というと、「いや、どうぞどうぞ」と、席を譲られ座った。いつもなら絶対座らないが、膝が痛い今日ばかりは、体制が不安定なので、仕方なく、座ることにしたのだ。席を譲ってくれた人は、次の駅で降りて行った。乗車駅から座れたのは初めてで、びっくりしてしまった。年寄りに見えたのだろうか。

 

ギリギリになるけれど、たまにはこの時間もいいなあ。