また21時まで頑張るの?
いよいよ社会が動いてきた。
夜少し離れたショッピングセンターに行くと、7割ぐらいの客で、結構行列ができていた。一家族1人という約束もいつのまにか緩和され、家族連ればかりだった。
どういうことなのだ。
そこで、教員の友だちに会った。
教師はリモートで仕事はできないらしい。
それは、高校や大学のように伝達一辺倒のしゃべくりでは通用しないという。それはそうだ。説明をするだけなら、小学校なら理科なら1日で済ませることができるだろう。そういえば実際に、新しい教科書をもらって帰ったら、国語や社会は、その日のうちに読んでしまっていた。
さて、学校も始まるみたいで、準備をしているのだという。しかし、投稿が始まったとしても、当面の間、自由登校らしい。12回学校に行くのだが、バラバラに子供が来るから、教師はずっと出ずっぱりだそうだ。
これ職員室大丈夫?
子供が持ってきた課題を点検し、また、次の時に渡す。その間2日。しかし、いつ子供が来るかわからないのだ。
お店の店番みたいだ。
もう、学校教育の限界なのだ。学校教育と言っても、公教育の限界である。学校へ行くか行かないかは、親が決める。まだ、正式に緊急事態宣言が解除されていないからだろうが、教育委員会の方針であれ、及び腰なのである。
もう、それなら、外国のチャータースクールのように住民が決めるようになるのだろうか。
とにかく、この3ヶ月に及んだ休校の経験を活かして、例えば先進国で一番授業時数が多いことや、教員の残業が桁違いで多いこと、教科書が検定制であること、それを教師が自分で選べないこと、怪しい評定があることなど、今一度考えないといけない。
教員免許状をもつプロがする仕事だから、プロとして最大限効率よく仕事ができるようにすべきだ。
また近所の小学校も、また。夜の11時まで職員室の電気がついているのだろうか?
今年は、学校が空いていないので、いつも学校の体育館で、夜遅くまで練習していた教師のバレーボール大会がないのは、とてもいいらしい。
あんなバレーボールやテニス、卓球の練習と称して学校の施設を使い、遅くまで居残るのは、教師の本務ではない。神戸市では、こんなことも教師の多忙化の一因であるのだという。
友だちもまた、21時まで学校に残るアホみたいな日常に戻っていくのだろう。