総裁選 子どもレベルの騙し合い
小学校の3年生は、2年生までに自分も友達とは違うということがわからない子どもが、友達を敵味方にしてグループを組んで生活する。わたしも、子どもの頃は、あるグループに勝手に所属さされ、抗争に巻き込まれた覚えがある。
小学生は、純粋ではない。
子どもなりに、必死に友達関係をつなぎ止め、力関係を図りながらどんどん深みにはまっていくのである。
まさしくギャングだ。
今日の友は明日の敵。
一斉に無視をされ理不尽な取り決めをさせられる。
それと同じことが、今、大の大人がしている。
元首相は、モリカケ問題で、隠蔽、改竄など、民主主義を舐めてかかった自分の悪事がバレるのが怖くて、1番自分の悪事をそれこそ隠蔽、無実にしてくれる大丈夫な右翼の女性を推している。彼にとっては、死活問題なのだが、国民の大半は、頭の悪いお坊ちゃんの逮捕を望んでいる。財務省の浮世離れをしているじじいも、同罪で同じ行動をやらかしているのだ。そういう人や、とにかく一流国日本万歳、日の丸に逆らうのは反日だと胸を張り、そこには大日本愛国会か何か書いたタスキをして、何だ貧乏人馬鹿野郎と言っているのである。金持ちだけ潤うサナエミクスだとか、人材不足で人権感覚が時代錯誤の自衛隊増強とか、言ってることが悪事を働いた奴と同じことで、もううんざりしてしまう。日教組を反日と決めつけ教育の基本をわざと歪めて、国民学校のような道徳教育を導入したり、学力テストで記憶力を競わせたりするのは、頭の悪い公教育を受けたことのない安倍の悪魔のなせる技である。未だに、夫婦同姓は日本古来からの伝統であるとか、夫婦別姓になると家族が壊れるとかアホなことを主張しているが、不勉強か、頭が古いのかどちらかである。源頼朝の妻は平(北条)政子であった。神話時代から、日本は夫婦別姓であったのだ。
女性として男尊女卑を維持するための、宴会お酌野郎、すなわちポンコツである。
国会は遊び場だ
候補者の男性2人は、どちらも改革を匂わせているが、多分できないであろう。どんなに、おかしなことを改革しようとしても、とどのつまりは、おかしなことを発見できてはいないのである。なるようにしかならないことばかりをし、大した哲学もなければ、親の血筋や先ほどの小学生のグループ騒動の中での力関係の中でのし上がってきたのである。
本気で、新自由主義を変えるわけにはいかないだろう。パソナや電通やトヨタが黙ってはいない。小さな政府、自助、そして棄民こそ、自由民主党の三原則なのである。それをやめて、ホンモノの社会保障の充実した公平な社会を作るなんて、自由民主党の議員なら誰も思ってはいない。そんな他人の幸せを考えるなら、国会議員にはならないで、ボランティアに勤しむだろうし、少しだけ格好をつけて野党の国会議員になっているはずだ。
自分が主張していたことを声にも出さず、ただひたすらに、万人が納得する詭弁を持ち出してケムに巻くのである。
そんな輩に改革はできない。あのフランス革命のロペスピエールは、革命に理想を抱いていた。行きすぎた理想で優秀な改革派を断首台へと送ったのだが、やりたいことがあっての行動であるはずだ。それを、口に出さず、原発反対だなんて現状では無理でやんすだとか、モリカケ問題って何だったのでやんすかとか、まるで他人事のように嘯くのだある。こんな人たちには、自分の命を預けてはいけない。
さて、1番最後に立候補してきた女性は、家族に問題があるらしいが、それだけで、あまり本気にはしてもらっていない。家庭の事情がダメなら離婚すればいい。
しかし、彼女が1番まともな主張をしているし正しい。もともと障がい児がいるのだというが、それゆえに人生の何かに早くも気づいた人である。
金のことしかない自由民主党の中では、ただ一人未来を語れる預言者、つまりイエスである。モリカケ問題も追求するという。頼もしい。弱者の味方である。
私たち労働者は立憲など既成の野党には裏切られた。立憲や共産はもはや労働組合貴族である。あの、太々しい喋り方、アジ演説。下々は反対はできないという怖さがある。だから、もう支持をするのはやめた。
さらに、野党の顔をしながら、小さな政府、新自由主義を目指す維新はインチキであり、もともと明治維新で民主的になったと思い込んでいるのがバカである。未来の見えない人は一応に騙されている。関西の民放各社や吉本はスポンサーであり、いつまでも維新のプロパガンダを続けている。
コロナ禍のあと、まもなく金融引き締めにより、ものすごい不況と株価暴落がやってくるが、庶民の心の寄りどころはどこにもないのだ。
しかし、彼女は、自民党のさいごの正義の味方しかないかもしれない。おそらく、彼女の主張は自由民主党のものとしては、弱者側に立ちすぎている。おそらく、総理になれば、日本は激変するであろう。もう、野党でも小沢一郎しか言わなくなった生活者の視点に立った人である。
彼女は、かつてオルレアンの地に立ったジャンヌダルクかもしれない。障がいをもつ子どもを背負いながら闘うのだ。そこから生まれることは、金儲けの手段でも、人の命を奪うことでもない。愛に満ちた言葉であるはずだ。
火炙りにさせない
小学3年生レベルの、化かし合いをやっている3人ではなく、真の国民生活を助けようとする人に、誰が寄り添うのかよく見ておこう。彼女に投票した人は、みんなで支持しよう。そういう方向からてないと、もう働く人の国にはなれないような気がする。
政治にも愛を。利他を。そして正義を。