政府専用機を飛ばさない愚か者
安部首相は、アホである。
それの取り巻きの、和歌山の2人もアホである。近畿のお荷物和歌山なんか、中国にくれてやるがいい。
もう思考停止、疑惑隠しの与党は、いよいよ、国会での追求を振り切るために国会を閉会した。
ところで、中村医師は、アフガニスタンでは、国葬級の葬送を受けた。大統領まで棺を担いだ。棺はアフガニスタンの国旗で覆われていた。
日本の政府は、なんとかという外務省の下っ端が迎えただけ。上皇様まで弔意を伝えられ、皇后様も同等の悲しみを伝えられた。
総理大臣が出迎え、政府専用機を飛ばすべきではなかったか。
専用機を、安部夫婦の熟年海外馬鹿んすの、輸送に使ってばかりではおかしい。海外協力だといいながら、民間人の災難には何も責任を取らない、無責任、トヨタ自動車一辺倒の自民党の魂胆なのである。
さて、はじめの話に戻そう。
あの和歌山の2人の国会議員は鬼なのか、馬鹿なのか、今こそ日本国民に問いたい。安部の肩ばかり持つ2人は、騙されやすい古典的な和歌山県民に支えられている。そんな輩なのに、親の票田を受け継いだ無能な2人を選んでいる。
政府専用機は、迎えに行かなかった。
騙されてはいけない。何も安倍内閣は守ってくれないのだ。
㊙️神戸の本当の事4️⃣
またまた、神戸市教育委員会の話である。公務員だから、さらに同じことをしている教員だから、だとの差をつけたい者は、賄賂を配りコネを使う。神戸市教育委員会の事務局の教員は、その最たる者であるし、管理職も同じである。
管理職試験は不正だらけ。頭が悪くても大丈夫。偏差値が低い大学でも、私立大でも大丈夫。中には、就職無理と言われる大学でも、神戸市教育委員会は大丈夫。
大学で、バレーボールやテニス、卓球をしていると、それだけで教員採用試験に合格する。
バレーのアタッカーなら、言うことなし。そんな奴ばかり採用されるので、校長会がしている形ばかりの研究会では、体育が異常なほど力を持つ。力を持つと言うのは、ヤクザのような世界で仕組みであって、神戸市教育委員会も、半ばそんな奴らが仕切り、校長も、体育部ならどんなアホでもなれる。とくに、小学校では、女性の教師が多く、優秀な人が多いが、文句を言わさないために、体育の教師を校長にし、職員室で恫喝をし経営をしていったと言う。
だから、神戸市教育委員会は、学校経営、学級経営という言葉が好きである。
いま神戸の先生は、宴会が禁止されているという。神戸市教育委員会が、口頭で宴会禁止を伝えている。文章にすると、また、マスコミが騒ぐからだ。
これ、基本的人権の侵害ではないか?
大切なことだから、マスコミに垂れ込みたい。
どこまでも腐っている、コネと金の、神戸市教育委員会であることを、お忘れなく。
役人に正義はあるのか?
どうして名簿が復元されないのだろう。
疑念がたくさんあるのに。
二階のじいさんや同じく田舎者の世耕は、和歌山での言えないことそっちのけで、幕引きをしている。和歌山の田舎者が言うことだから決して信じてはいけない。和歌山への高速道路建設など、見返りをたんまり安倍から戴いているのだから。
本気になれば名簿は復元できる。少なくとも、写真に写っている人はわかるはずだ。
どこまで国民を馬鹿にしたらいいのだ。
安倍は自分が被害者のような振る舞い。早くやめさせろ
役人は公僕やろが。
卑怯者の桜を見る会
外国の記者は言う。
日本人は去勢された宦官である。
日本人は井戸端会議しかできないおばはんである。
日本人は、政治に対して観客である。
観客なら下手な芝居には、文句一つ言えばいいが、そんなことはしない。
昨日の安倍首相の答弁は、またまたはぐらかしである。だれも、それを追求しない。質問をするだけで、それが野党の議員の誇りなのである。
その程度の役者しかいない日本の国なのである。
司馬遼太郎さんは言う。
立憲国家は、人々、個々の強い精神が必要なのである。戦後日本はまだまだできていない。
明治の政治主導による資本主義が、形を成したのは、汚職しなかったからである。明治話の役人たちは、今から考えても痛々しいほどに清潔であった。明治の日本には、資本主義の興し手たちを見ても民衆を見ても、また、民権運動家を見ても、公の意識が強すぎていたのである。
そう考えると、国会を自分の家のように考え、吉本とつるみ、ジャニーズと仲間となり、芸能界を利用し、高感度を上げようとしている安倍政権は、ドロドロのお友達、汚職体質なのである。
さて、ここで国民として怒らないともう騙されっぱなしになるのである。
香港のリベラルに学ぼう。
今なにに乗ればいいのか。
今新聞を見れば、広告は健康食品と旅行が花盛りである。今までの化粧品や自動車は影を潜めてしまった。逆に、外国の自動車の広告は増してきたように思える。
日本は、ものづくりの国から、サービス業の国へと変換しつつあるのだ。
我が家の国産車は、460万円もした。それも、もう12年前である。しかし、まだまだエンジンも調子よく、どこと言って困ることはない。
それどころか、直噴のエンジンは老いてもまだまだ好調で、信号待ちからのダッシュでは、ダントツに速い。
しかし、このところ、シートベルトがやたら伸びきってしまっていたり、素早く収納しないで、ドアに金属が挟まってしまったりする。また、フットブレーキも、こころもち甘くなってきている。色々ダメになっていくのだなあと、思いながら、まだまだ買い換えずにいる。
その第1の理由は、格好がいいからだ。何度かデザインが変更されたものの、今のスタイルを超えるものはない。デザイナーは、なにを考えているのだと、むしろ懐疑的になる。
昔、日産からセフィーロという、セダンが出たが、当時かっこよさの追求が蔓延していた中で、なんじゃこれはというデザインであった。
当時日産車のレパードになっていた我が家は、レパードのZエンジンの非力に悩まされて、六甲山や生駒山でカローラに抜かれる失態に、ついに日産の新車に期待していただけに、そのブサイクさに絶句したものである。何しろ、7対3でさんの方のデザインを取ったという。まさに、へそ曲がり。考え方は哲学かもしれないが、実に幼稚である。結局は、セフィーロは、売れなかった。
それもあって、新しい車に買い換える気は無い。
それよりも、安全装置のことも気になるのだ。まだまだよくなりそうな雰囲気だから、どのあたりで妥協するかにかかっている。もっと待てば自動運転だし、すぐに買っても何年か後には乗れなくなってしまうかもしれない。
官邸もまたまた変なことを言い始めている。
そうなればなにに乗ればいいのか。
いっそのこと、日本のクルマ文化が届かない外車にするか、タイムスのようにシェアするか、半額以上積み立てていくか、とも考えるのである。
それより、もうガソリン車は、なくなるかもしれないし。そうなれば大変。
もう今までの自動車会社は、関係なくなるだろうし。
それならば、今こそ、乗りたかったジャガーか、猫足で有名なプジョーか、ダメ元でキャデラックか。
どうしよう。
まあ、2年ほど待とうかな?
友人は馬を買えというが
男女別姓を認めよう
OECD35カ国で、夫婦となる条件として、同姓婚でなければならない国は、日本だけである。歴史から見ても、源頼朝の妻は、北条政子であり、足利義政の妻は日野富子である。誰も、苗字は変わらないし、そういう概念などなかった。
家という制度を重要視をしたのは、天皇制を定着させようとした明治政府の策略で、それまで別姓であったものを天皇が中心のというか、他の反新政府勢力を根絶やしにしようと、天皇を神として祭り、それになぞらえるよう家庭も家長制を敷いた。
だから、この150年の風習にしか過ぎない。
安倍政権が、頑なに男系継承を訴えているのは、安部の家族編成によるものだ。
そんな個人的な価値観で、天皇のことを考えられては困るし、早く退陣すべきである。
愛子さまを天皇にという世論は全く正しいし、わたしも、その1人である。
わけのわからない、成り上がりの男子を見抜けない一家に、天皇の血筋が行くのは断固反対である。父譲りの頭の出来で、母譲りの図々しさで、出来上がっていたらもうおしまいである。
もう、男女別姓にしてはどうか。野党もそういう庶民の感情を代弁できれば人気が出るのに。
やたら、形や見栄を気にする枝野はダメダメ。
山本太郎、なんとかしてくれ。
そう言っていたら、自民党からついに声が上がった。
自民党の甘利明税調会長は24日のフジテレビ番組で、安定的な皇位継承の在り方をめぐり、男系継承が最優先とした上で「最終的選択としては女系も容認すべきだ」と語った。
甘利さん頑張って。