神戸市の史跡保存意識の低さ
来月、平清盛の邸宅の跡を訪ねるエクスカーションをする。高齢者向けなので、あまり歩くことはできないので、実際に歩いて、距離や時間を測ってみた。
場所は神戸である。
学生時代から、ずっと気になっていたので調べていたら、それなら連れてってとなった。
兵庫区という神戸でも一番古くから開かれた場所である。明治時代に湊川の付け替えで、その旧河川上にできた新開地という繁華街から始まる。繁華街といっても、明治の終わりには、東京の浅草と並ぶ、演芸場や映画館がたちならぶ、繁華街であった。
明治時代には、近くに、神戸市役所もあり神戸最初の百貨店もあった。まさに、神戸の中心地であった。
その勢いはもうないが、古くからある神戸の味、神戸のおもてなしの心がよく伝わってくる場所である。大阪や東京のチェーン店の味に毒されてしまっている三ノ宮にはない、明治当初に日本の最先端であった神戸の味がいまだに残っており、おもてなしの精神が息づいているのである。
そういう新開地を通り、湊川公園を訪ね、東洋一と呼ばれる東山商店街を抜け、前の湊山小学校があった跡地まで歩く。約2キロ。
この湊山小学校がまだ現役の頃運動場の改修で、平安時代の庭の遺構が出土し庭石も出てきた。記録と合わせて、ちょうどこの場所が平清盛の邸宅跡であり、その庭があったことになった。その北には、温泉があり、一丁ほどの距離を牛車に乗って通ったという。
その候補であった天王温泉はもう廃業しているが、湊山温泉が近くにある。
見学場所として、勝海舟が神戸海軍操練所に通ったという寓居跡と、一ノ谷の戦いの後に立てられた、平氏供養塔を見るつもりであった。
なんと、区画整理がなされ、無くなっていた。
聞いてみれば、持ち主が変わったから売りに出したらしい。神戸市も、なんら史跡の指定をせず、持ち主に維持を任せていたために、保存方法は曖昧で、十分な保全もなされていなかった。
神戸の文化財ってこのレベルが多い。
民間に任せっぱなしである。街路樹の掃除も市民に押し付けている。
新しいものには敏感だが、古きものを発掘し活かすことがなかなかできない。今も、清盛の経ヶ島の場所や、福原京の場所も規模もわかっていない。一ノ谷の逆落としすら伝説の域を超えていない。こんな調子である。
それに比べて、四国の屋島は、保存が行き届いて立派である。
いとも簡単に歴史を葬る神戸市教育委員会の姿勢に怒りを覚える。秘密と不正の神戸市だ。