和歌山城再建
和歌山城は、御三家の一つ、紀州家の居城である。55万5千石。
今の和歌山県より、紀伊半島をほぼ回り込むぐらい、三重県側まで国があった。
和歌山城は今の和歌山市、県の北端、大阪府との境に建っている。天守の他に3つの小天守をもつ、連立天守構造の城で、姫路城、松山城と共に、日本三大連立天守城である。
豊臣秀長が藤堂高虎に命じて建てさせたもので、その後、江戸に入り浅野氏や、家康の十男徳川頼宣によって、改築され拡大されてきた。
形が虎が伏せたようで、かっこよく伏虎城という名前でも呼ばれ、近くの中学校の名前にもなっている。
火災のたびに建て直してきたため、紀州藩は財政的に困窮していた。安政南海地震の際にも、復興事業や救援策は何も出来なかった。その後、幕末に、火事があり、御三家のメンツとして、1850年に天守閣と小天守を建て直した。それ故に、比較的新しく、明治の城の排斥運動に、巻き込まれなかった。当時の和歌山は、全国8位の人口を誇っていた。田舎でありながら、城を中心とした経済圏が確立されていたと考えられる。
本丸は国宝となった。
しかし、1945年、米軍の空襲により、城は焼けてしまった。ということで、1958年鉄筋コンクリートで再建された。
この時の城が、建築基準法にも適応せず、老朽化が進んでいるらしい。
建て替えるなら、木造で、本物を目指して欲しい。名古屋城のように。こんな不便で、ややこしいものがあったというのは事実なのだから。
アメリカ軍に、弁償してもらってもいい。
国宝だったんだから。
おい、トランプ聞いてるか。
リメンバー無差別爆撃、リメンバー空襲。